もう一人の放蕩息子
          
(ルカ15:2530)

 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。    (エペソ289

 確かに弟息子は困った問題を抱えていました。けれども、実はもっと根深い問題を抱えていたのはお兄さんでした。どうして、このようなことが起こってしまったのでしょうか。

1 弟に対する怒り
 
彼の内には弟に対する怒りがあります。この「あなたの子」という言い方の中に実に冷たい響きがあります。彼は絶対に許せないと言う思いを家に入らないという形で表すのでした。私たちの中に怒りや、ゆるせない・・・という思いがあるときに、私たちは神の思いが分からなくなってしまいます。

2.自分の生き方に対する誇り
 自分の生き方に誇りを持つのは大切なことですが、「自分を誇る」ということが、神さまの思いを見えなくしてしまうことがあります。一度でもあなたの言いつけに背いたことはない・・・と彼は言います。「わたしはこんなに一生懸命やっている」という誇り、「わたしは」ということに集中してしまうと、私たちの生涯の中に働いておられる神が見えなくなってしまうのです。

3.神に対する不満
 
何もくださったことはない・・・彼は不満をもっています。これだけやっているのだから当然神さまもこうすべきだ。そこにあるのは恵みの世界ではなく、業の世界です。私の真面目さ、これまでの貢献・・・そういったもので神の恵みを買い取ろうとするのです。彼にあるのはいつも不平ばかりです。

 彼はお父さんのしたことがゆるせませんでした。喜んでいる父親の思いが分からない。神さまの思いが分かりますか。一人の人が神から離れて歩んでいるときに、本当に悲しみ、また一人が神のもとに帰ってくるとき、本当に喜んでおられる神さまの思いがわからない。みなさんには「一人も滅びることを望まれない」神の思いが分かりますか。裏切られても裏切られてもなお信じる神さまの思いが分かりますか。
 「父は出てきてなだめた」この父はこの兄の故にどんなに心をいためたかしりません。父はこの兄をも愛し、この兄にも自分の思いを理解してもらいたかったからです。

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