天にある大きな喜び
(ルカ15:1〜10)
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。 (ルカ15:7 )
15章の三つのたとえの中心メッセージは神は神の元に帰ってくる罪人を喜び迎えて下さるということです。
1 大きな価値をもったもの
神にとってはどんな人も大きな価値をもった、神の愛の中にある者です。羊飼いは100匹羊がいてもちゃんと見分けが付きます。羊飼いは雨の日も風の日もいつも羊たちと一緒にいて心にかけ、名前を呼び、世話をしているからです。どの一匹も大切な大切な代わりのない一匹なのです。
10枚の銀貨もこれはこの女性の結納として男性から手渡されたものという話があります。これはちゃんと10枚そろっていないといけない。9枚あるからそれで何とかしようといえないのです。それと同じように私たちは神様の目にかけがえのない、尊い存在なのです。
2 主人を離れたもの
ところが羊が一匹逃げだし、一枚のコインが転がって行ってしまった。羊は羊飼いから離れては生きていけない。確かに同じ世界のどこかにあるのは確か。けれども主人の元からどこかに行ってしまったら、そのものの意味を失ってしまうのです。
3 探し続ける主人
羊飼いは探し続け、女は求め続けました。共通点があります。一つは探すと言うの中で、大きな犠牲が払われているということ。もう一点は主人は見つかるまで探し求めたということです。まあ、いいやとあきらめなかったのです。確かに私たちが神様を求め、探しているのかもしれない。けれどもそれ以上に、神様の方で、神の元を離れてしまった私たちを捜し続けていてくださるのです。
4 大きな喜び
なくしたものを探し出した主人は大きな喜びを経験しました。そして、近所の人たちも呼び集めてお祝いをしたのです。神様は私たちが神の元に返るときに本当に喜んでくださり天国中で一人の救いを喜び祝う声が響くのです。
また逃げ続けておられるのでしたら、もう逃げるのをやめてください。あなたはあなたのことを愛しておられる神様のところにいるのが一番幸せなのです。天では大きな喜びをもって迎えてくださるのです。
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