自分を低くする者は高くされる
(ルカ14:7〜11)
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。 (ルカ14:11 )
1.自分を低くするとは
自分を低くする、それは謙虚に生きるということです。これは決して優しいことではありません。それだけではありません。私たちは案外、相手が神であっても、それでも神よりも自分を上に置きかねない。そして、神よりも自分を上に置くことを聖書では「罪」というのです。自分を低くする。それは神を神としてあがめるところから始まるのです。
2.一番末席につかれたイエス
自分を低くするということは戦いです。けれどもイエスさまはこんな私たちのために自らを低くしてくださいました。一番高く上げられるべきお方が自らを低くしてくださったのです。人になり、馬小屋に生まれただけではありません。罪人として扱われてくださいました。弟子たちの間でも給仕する者のように彼らに仕え、十字架につけられる前の夜には、一人一人の足をまるで奴隷のように自らを低くされました。イエスは、つばきをかけられ、しばられ、傷つけられ、あざけられ、そして苦しみぬいて神にさえも呪われて、死んでくださったのです。神は、一番自らを低くし私たちの罪をも負ってくださったイエスさまの恵みで、本来は決して自分を低くできない私たちを下から支えて、神を神とし、人々に愛をもって仕えることのできる者にしてくださるのです。
3.運命の逆転
けれども、イエスはそこに逆転が起きるというのです。自分を高くして、高慢に生きる者はやがては低くされる。そして自分を低くした者が高く上げられる日が来る。イエスはよみがえり、罪と死の力を全く滅ぼしてくださいました。そしてイエスは私たちを支えてくださいます。イエスのように人々に仕えていく時に、神は私たちを高く引き上げ、神の栄光にあずかる者として下さるのです。
ここで語られているのは単に席順のことではありません。イエスさまは婚宴のたとえをよく終末における神の国にたとえられました。その意味では、まるで自分がここにいるのが当然だと思っている人は入れない。天国はかえって自分は本来は入ることのできない罪深い者なのだと言うことを知っている人がただ神のあわれみによって入るところなのです。
(10/31)