すべては神のもの
          
(マタイ28:16〜20)

わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。  (マタイ28:18 )


 「国と力と栄えとはかぎりなく汝のものなればなり」。私たちが祈る主の祈りの最後には栄光を主に帰しまつる頌栄が加えられています。ヨハネ黙示録の天国の賛美の中にも、これに近い賛美の歌は用いられています。すべては主のものなのです。

1.天にあるものも地にあるものも

 私たちは祈りを終わるにあたって、すべてのものを治め、すべてのものを持っておられるのは主なのだと言うことを再確認したいと思います。一切の権威はすでに十字架・復活の主が握っておられる。一切の権威をもし主が握っておられるなら、私たちはどうしてこのような苦労をするのだろうと思わされることがあるかもしれません。しかし、勘違いしてはいけません。一切の権威を主が持っておられると言うことは、すべてが私たちの思い通りにいくということではありません。それは一切の権威をもっておられるお方の前に、私たちもひれ伏さなければならないからです。神のなさることが私の思いと違い、戸惑う時にも私たちを愛し、私たちのために命を捨ててくださったお方がすべてを治めておられることを覚えたいと思います。

2.有限のものも無限のものも

 目に見えるものも見えないものも主はすべてをもっておられるのです。イエスはここで「世の終わり」までとおっしゃいました。目に見える世には終わりが来る。この罪に汚れた世界が終わる時が来るのです。目に見えるものはすべて有限です。終わりがある。けれどもすべての有限なものを持っておられるお方は、死をも打ち破られた無限なお方、主の主、王の王です。

3.そしてわたしも

 主の祈りを祈り、私たちは心を合わせてアーメンとあわせます。アーメンと祈ってさあおしまいというのではありません。国も力も栄えも、そして主よ、私もあなたのものですという告白を私たちはさせていただきたいと思います。一切の権威をさずけられたと共に、私たちもその権威の下にひざまづき、イエスの権威のもとに服していくのです。そして神は「行け、弟子とせよ。バプテスマを施し、教えよ」と言われたのでした。この宣教に出ていけるのは、神の臨在の約束があるからなのです。

(9/26)