罪のゆるしを求めて
(マタイ6:12)
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。 (マタイ6:12 )
ここで負債と言っているのは負い目とも訳せるのですが、本来だったら私たちが負わなければならないもの、私たちがいつもとなえている主の祈りではずばり「罪」というようにいいます。私たちは毎日食事をします。そして毎日食事をしなければ生きていけないのとおなじほどに、私たちは毎日ゆるされなければ生きていけない。だから私たちは今日も私たちの負い目を、罪をゆるしてくださいと祈るのです。ドイツの家庭で良く祈られる食卓の祈りに次のようなものがあるそうです。「主よ、私たちになくてならぬものが二つあります。それをあなたのあわれみによって与えてください。日ごとのパンと罪のゆるしを」。日ごとの食物も罪のゆるしも、私たちにとってなくてならないものなのです。
罪のゆるしを求める私
ここでまず私たちが覚えなければならないことは私たちには負い目があるということです。確かに私たちは毎日生きていく中で多くの人たちの愛と忍耐とゆるしとによって支えられています。私たちは謙虚でなければなりません。その意味では多くの人々に赦しを請いながら生きていくべき存在だとも言えます。けれども同時に、実は私たちは神に対して負債を負い、負い目を負い、罪を負っている。きよい神に造られ、神の愛のもとに生きるようにと造られたにも関わらず、神の思いを裏切って生きている。けれども、そんな私たちに神ご自身が近づいて「あなたの罪はゆるされたとおっしゃる。
ゆるすこという言葉には三つの意味があると言われます。第一は忘れてしまうと言うことです。神は忘れてくださる。まるで罪を犯したこともないかのように見てくださる。第二は免除するという意味です。もう一切の責任を問われない。免除されたからです。第三は覆うという意味です。まるで傷口に絆創膏を貼るように、神がその愛をもって私たちの罪をおおってくださった。主は、私たちをゆるすことのために大きな犠牲を払って下さいました。私たちには日々、主のゆるしが必要です。神が与えてくださる恵みの中を日々大胆に歩むものでありたいと思います。
(8/22)