日ごとの糧を求めつつ生きる
(マタイ6:12)
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。 (マタイ6:12 )
1 無くてならないもの
まず私たちはここで「食物」ということから始めたいと思います。確かに私たちは食べるものがあるのが当たり前という時代に、豊かな日本に生きています。けれどもどんなに豊かな時代になっても食物がないと私たちは生きていくことができません。私たちは自分がとても強く、また何でもできるかのように錯覚してしまうことがあります。けれどもとんでもないことです。私たちはそんなものがないだけでも生きていくことができないような弱い存在であることをこの祈りの中で私たちは告白します。
聖書の中には「人はパンだけで生きる者ではなく」ということばもあります。けれども同時にイエスはパンを求めよとおっしゃいます。イエスは私たちにパンが必要であることも知っていてくださるからです。神は私たちの霊だけではなく肉体の必要も知っていてくださるのです。そして私たちは本当に主に頼らないでは生きていけない自らであることを告白するのです。
2 日ごとの食物を今日も
私たちは日ごとに食物が必要です。イスラエルの民は荒野を旅した時に、日ごとに与えられるマナを集めて食べました。毎日毎日、その日の分を与えられ、毎日毎日主に信頼することをイスラエルの民は学んだのです。決してぜいたくを求めているのではありません。ごくごくありふれたその日一日の糧を主に求めているのです。一年分まとめてということはできません。それでは私たちは主に信頼することをやめてしまうでしょう。その日の必要を私たちは求めます。そのようにして毎日毎日主に信頼して歩むのです。
3 私たちの食物
この祈りは共同体的な祈りです。私たちはここで「自分の」食物ではなく、「私たちの」食物を求めます。私が必要を与えられ、私のお腹がいっぱいになる中で多くの人が犠牲となり、お腹を減らしていると言うことではなく、私たちは共に必要を与えられていくのです。
このように自分の小ささを告白し、主にすがるものに主は日ごとに必要を満たしてくださるのです。
(8/15)