大胆な歩みをさせる望み
         
(Uコリント3:1〜18)

「主よ、いま・・・僕たちに思い切って大胆に御言葉を語らせてください・・・」。彼らが祈り終えると・・・一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。                   (使徒行伝4:29、31 )

神の望みをもって生きている人は大胆な生き方ができます

1.大胆さを失わせるもの

@恐れ  弟子たちの心の中にも恐れがあったことでしょう。恐れは私たちをおくびょうにします。ですから弟子たちは「大胆に御言葉を語らせてください」と祈ったのです。

A安定志向  今、見えるものに満足してしまって、さらにもっと向こうにある大きな恵みを受け取ろうとしない・・・これも私たちに大胆さを失わせます。

B不信仰  神にもできない・・・そのような不信仰に宣教師たちがとらわれていたら彼らは日本までやって来なかったでしょう。

C孤独  一人で立っていくのはとても勇気のいることです。信仰の友がいてくれたら私たちは大胆になることができます。

2.大胆さをもたらす望み

 パウロは「こうした望みをいだいているので、私たちは思いきって大胆に」と言いました。パウロほど多くの試練や苦難に取り囲まれていた人はいなかったでしょう。ここでパウロが望みと言ったのは直接的には福音によって永続性のある、栄光に満ちたものが与えられるのだという望みです。この福音は信じるすべての者に救いを得させる神の力だ。この望みが私たちを大胆にします。

3.大胆な生き方

@大胆な信仰・・・神を信じていたら、信じないよりましですよ、そんな信仰ではない。イエス様を信じるとどんな者でも罪赦されて神の子とされ、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられるという信仰です。

A大胆な行動・・・臆病だった弟子たちが、神を信じて大胆な行動をとるようになりました。

B大胆な宣教・・・弟子たちは祈りました。そして人のご機嫌をとったり、顔色を失ったりと言うことではなく、御霊が注がれて大胆に語る者とされたのです。

私たちはこの望みを持って生きています。そして希望は単なる空しい望みではなく、私たちに大胆さを与えます。それは無謀さではありません。動くことのない望みに土台を置いているからです

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