試練に学ぶ
(創世記22:1〜18)
試練に耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。 (ヤコブ1:1〜12)
「5月病」という言葉を聞くことがあります。新しいスタートをしたのに、思いどおりにいかず壁にぶつかる事を言うのですが、これは5月に限った事ではありません。
私たちは「忍耐、我慢」を美徳に感じますが、これにはマイナスのイメージもあります。試練を受けるとか耐えることをプラスに受け取る事が大切です。神は私たちに試練にあっても耐える力を与え、喜びを与えてくださるのです。
けれども私たちは試練を喜ばしいものと考えることができにくいものです。確かに主の祈りにも「試みに会わせず」とあります。もちろん試みが無くなる、誘惑を受けないのではありません。主も荒野に導かれて、悪魔の試みに会われました。
試練にはどのような意味があるのでしょうか。アブラハムの試練から考えましょう。
1.試練は神のテストです
信仰のテストであり、愛する者が成長するためのものです。
愛する息子を献げるという、何とも理不尽な呼びかけに、アブラハムは従順に、全面的に従いました。ここでは絶対的な信頼、何を最優先にしているのかという献身が試されました。アブラハムは、一番大切なひとり子を惜しまずにささげ、同時に自分自身をも献げました。
あなたは生活のなかで何を優先しておられますか。いつの間にか神よりも大切になっているものがあるとしたら、さらに豊かな祝福を受けるように手放しましょう。
2.試練は神の訓練です
服従するためには私たちの信仰の姿勢が問われます。私たちも髪の語りかけにすぐに行動を起こしましょう。試練の中で、私たちは心から変えられて品性が錬られていくのです。
3.試練は神の時の中で行われます
すべての出来事は神のタイミングの中で起こっています。それは完璧です。遅くもなく、早くもなく御声がかかりました。どんなときでも信頼していく必要があります。従う時に神様は、すべての必要を満たして下さいます。そして聞き従うことによって、あなたのみならず家族、子孫、周囲が祝福を受けるのです。
(5/16)