あたえられた希望の尊さに生きる
(エペソ1:15〜23)
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、栄光の父が・・・あなたがたの心の目を明らかにしてくださるように、そして、あなたがたが神に召されていただいている望みがどんなものであるか・・・あなたがたが知るにいたるように・・・。 (エペソ18:19)
パウロのエペソの教会の人たちに対する神への祈り・・・パウロはここで心の目が見えると神によって与えられている望みの大きさが分かるようになると言います。
1.神に召されたという大きさ
神は私たちの名前を知り、私たちの名前を呼んでくださる。私たちでなければならない使命を与えて呼びだしてくださったのです。私たちの望みの土台はまさに「神に召されている」と言うところにあるのです。
2.神の国の栄光の大きさ
神の国・・・それは栄光に富んだ国。私たちはこの人は幸せだとか、この人は不幸だとか言います。でも神の国を嗣ぐと言うことが分かってしまったら、この短い地上の生活の中でどんなに富んでいたとしても、それが一体何になりましょうか。私たちが文句・不平が出るのはまさにこの神の国の栄光の大きさを知らないからなのです。
3.神の力の大きさ
神に与えられている望み、それは神の力の大きさを思うときに、よりはっきりと分かるようになります。
@キリストをよみがえらせた力
私たちの内に働いている力はイエスを死人の中から導き出した力です。同じ力が私たちを強め、私たちに復活の命を注ぎ込んで、私たちを生かしてくださるのです。
A信じる者たちのうちに働く力
パウロは高らかに宣言します。神は信じる者たちの間に今も力強く働いておられる。私たちにはできないかもしれません。けれども神にはできるのです。神の力は実に絶大です。私たちは何を恐れましょうか。
B教会を教会としていく力
この神の力は信じる者たちの群れをキリストの体なる教会、神の充ち満ちておられるところとしていきます。
私たちはこのお方に望みを与えられて生きるのです。
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