命を与える神の御言葉
(マタイ4:1〜11)
人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。 (マタイ4:4)
私たちは神の語られた言葉によって命を与えられ、生きます。
1.荒野で与えられる神の御言
イエスは公生涯に入る前に荒野に導かれ、そこで断食して祈られました。
そして、悪魔の試みを経験してくださいました。私たちの生涯の中でも荒野の経験をすることがあります。すべてがうまくいっている中で私たちはなかなか神の御言の必要性だとか力だとか分かりません。私たちは神の言葉なしに生きていけないのだと言うことに、荒野で気づくのです。
2.生きるとは
聖書で「生きる」というときに、単に生物学的に生きていると言うこととは違います。それは神様とつながっている。そのことによって神の命が私たちに注がれる、それを生きているというのです。
本来なら私たちはあまりにも汚れていて、聖なる神との接点などない。けれども、そのような私のために神が自ら人の言葉を用いて、自らの姿を明らかにされた。この御言を私たちが信仰と従順をもって受け止める時に、神の命が私たちに注がれる。そして神との関係がつながっている時に、私たちは本当に生きていると言えるのです。
3.御言からどう命をいただくか
大切なことがいくつかあります。
@毎日いただく
ちょうどマナが毎日、与えられて、ためおきができなかったように、神様の恵みもためおきはできません。私たちは毎日恵みによって生かされ続けていくのです。
A一つ一つ大切にいただく
聖書は全体でどういうことを言っているのかという全体像をつかむのはとても大切なことです。けれども同時に一つも無駄にせず、一句一句を大切に味わいたいと思います。
B信じていただく
神の口から出てきた言葉、そこには命があって、私たちを生かしていきます。けれども同時に神は信じてそれを受け止めるようにと願っておられます。その時に御言が開けてそこから命があふれ出て、私たちを命で満たしていくのです。
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