語られる神
(出エジプト記3:1〜12)
神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。 出エジプト記3章12節
私たちの神は生きて語られる神です。モーセが80歳になり、荒野で羊を飼っていたときに出会ったのはまさに語られる神だったのです。私たちは語られるお方として主を仰ぎたいと思います。
1.私たちの名を呼ばれる神
モーセが柴が燃えているのになくならないのを見て、何が起こっているのか確認しに行こうとしたときに、神は突然モーセの名を呼ばれました。神は私たちの名を呼ばれます。それは、神がわたしたちを知っておられるからです。モーセが神を全く知らないときから神はモーセを知っておられたのです。神は私たちのことも知っていてくださいます。神は私にも関心をもち、私を愛して名を呼んでくださるのです。
2.自分を紹介される神
神はモーセに自分を紹介されます。
@聖なる神・・・神はモーセに、近づくなと言われました。モーセはそこで靴を脱がなければなりませんでした。神は聖なるお方、人間をはるかに越えた、超越した、あまりにもきよく尊いお方なのです。
A先祖の神・・・神は昔から神で、昔も多くの聖徒たちに語りかけ、彼らの主として彼らを支え得てくださいました。けれども同じ神がわたしたちの主なのです。
B見、聞き、知って、働かれる神・・・神は昔の神と言うだけではありません。今もアブラハム・イサク・ヤコブを生かしておられる主であり、きよく私たちを超越しておられるお方であると共に、私たちの悩みを見、叫びを聞き、苦しみを知っていてくださるお方なのです。
3.私たちを召される神
神はモーセを用い、モーセに特別な使命を託そうとしておられました。神さまは私たちの名を呼び、私たち一人一人に大切な神の御用を託してくださいます。もちろん、私たちは他の人のまねはできませんし、する必要もありません。神はあなたにしかできない使命を与えようとあなたの名を呼ばれるのです。
神は、単にお前行けとおっしゃるだけのお方ではありません。神は臨在の約束を与え、共に歩んでくださる中で私たちを遣わされるのです。そして、神ご自身も下って救いをもたらすからとおっしゃるのでした。
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