罪の許しを信じる
            
(マタイ9:1〜8)

「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」。

マタイ9:2


二千年前に起こったイエス・キリストの十字架の出来事が実は私の罪の身代わりとしての神のひとり子の死であったと受け取ることができるのは聖霊の御業です。聖霊は主イエスが成し遂げてくださったその御業を私たちに当てはめてくださるのです。

1.罪・・・ゆるしを必要とする私

 この男は中風のゆえに大きな苦労を負っていました。けれども体よりももっと大切な問題がある。それは「あなたの罪」の問題だ、とイエス様はおっしゃったのです。罪は私たちと神さまとの関係をおかしくしてしまうだけではなく、私たちと他の人々の関係もおかしくし、そして私たちを永遠の滅びへと導いてしまう。そして自分の罪深ささえも知らないと言うところに私たちの罪深さはなお深まっていくのです。罪のゆるしを信じると言うときに、私たちがそのような自分の罪深さに気づかせていただくと言うことでもあるのです。

2.罪をゆるす権威を持つ方

けれどもここでイエスは罪をゆるす権威を持つお方として私たちの前に立たれるのです。「あなたの罪はゆるされた」。罪人に必要なのは言い訳や、これから真面目にやりますからと言う決心ではなく、罪のゆるしなのです。神は大きな痛みをもって、覚悟を決めて「ゆるす」と言っておられます。それはイエスが私たちのために十字架について死んでくださることによって始めて成就するところの「ゆるし」なのです。

3.子よ、しっかりしなさい

イエスは単にゆるすから後は自分でしっかりやりなさいと言われるのではありません。主は「子よ、しっかりしなさい」と愛をもって呼びかけてくださいます。この「しっかりしなさい」というのは決して叱責の言葉ではありません。確かに私たちは時に力を失い、勇気を失い、喜びを失い、「しっかり」できません。私たちの罪をゆるすとおっしゃる神が「しっかりしなさい」とおっしゃるときに、その御言葉が私たちの生涯の上にも成就していくのです。

 私たちは罪のゆるしを信じます。それは「ゆるす」とおっしゃる主に信頼して雄雄しく歩んでいくことでもあるのです。

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