慰めの時代の到来 (イザヤ40:1〜2)
       2004
元旦礼拝

あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ」。
                
イザヤ40章2節


神は私たちになぐさめを語り、私たちが慰められると共に、私たちが慰めの使者として生きることを願っておられます。神は私たちにどのような慰めのメッセージを与えていてくださるのでしょうか。

1 罪のゆるしから来る慰め

本来でしたら、罪深い私たちは神の裁きの元におかれていて、滅びるしかない。そこには悲しみと嘆きしかないはずです。けれども、そんな私たちに主は罪のゆるしを宣言してくださいます。イザヤの聞いたメッセージは、もう負うべき刑罰は全部負われた、刑期は終わったのだという宣言でした。

イザヤ書を読んでいくときに、この罪を負ったのは、イスラエル自身ではなく、しもべなるメシヤ、救い主であることが分かります。

イエスのメッセージのことを福音書の記者たちはこう言いました。「罪のゆるしの福音」。本当に私たちがどんなに罪深い者であるかを私たちは知っていなければなりません。けれども、そんな私たちが救い主のあがないのゆえにゆるされるのだというのが聖書のメッセージなのです。

2 御言葉の確かさから来る慰め

イスラエルの民は自分の国が消えてしまうと言う現実に直面して人生のはかなさを感じないではおれなかったでしょう。「人はみな草だ」。本当に私たちは何と弱く、また私たちの生涯はなんと空しいことでしょうか。けれども、そんな私たちにも神の慰めが語られます。それは私たちを愛し、また私たちが愛している神の言葉が決して変わることがないと言うメッセージです。私たちはこの一年もこの聖書のみことばにすがって歩んでいくことができるのです。

3 力強い創造者から来る慰め

私たちは疲れ、弱ることがあります。何か神さまを信じて歩んでいるのに何か神さまから無視されているように感じ、全然聞いてくださらないような、そんな思いになる時があります。けれども聖書は言います。神は天地を造られたお方で、今私たちが弱り、疲れるときにも決して私たちを見捨てない。私たちに近づいて、私たちに力を下さる。疲れ果ててしまうような状況の中にあっても私たちに新しい力を与えて歩ませてくださるのです。

多くの人たちが慰めを必要としています。自らがまず、神さまから豊かな慰めをいただいて、大胆に主の慰めを語る者でありたいと思います。

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