その名はとこしえの父
         
(イザヤ9:1〜7)

ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。         イザヤ9:6


やがて来られる救い主の名は「とこしえの父」と聖書は言います。父なる神のことではありません。救い主としてこられた神のひとり子イエス・キリストのことです。このお方は私たちにとってまことに「とこしえの父」なのです。

1.命の源なるお方

 この「父」という言葉は命のつながりを表しています。やがて来られる救い主が「父」だと言うときに、私たちが皆、このお方によって命を与えられ、このお方によって今も生かされていることを表しています。私たちは自分の罪過と罪とによって死んでいた者だったとパウロは言います。けれども、そんな私たちが生きる者とされた。新しい命を与えられた。それはこのお方が救い主だからです。このお方によって命があたえられた。このお方につながることによって、私たちも生きる者とされた。新しく生まれた。このお方によって。だからこのお方が私たちの父なのです。

2.愛の源なるお方

 この「父」という呼び名は、愛のつながりを表す言葉です。本来は父親は自分の子どもを愛し、守り、責任を持って育てるのです。それは単なる義務ではありません。それはその子を愛しているからです。やがて来られる救い主は、その民を自分の民として愛し、守り、養うのだ。このお方は私たちに関わり、私たちをとことん愛し続けてくださるのです。

3.とこしえに変わらない方

 どんなに偉大な王がいて、自分のことを「父」と呼ばせたとしても、それはほんの一時期、権力をふるうことができたにすぎません。けれども、このお方はとこしえの父、決して変わらない方、昔は父だったというような方ではなく、いつも変わらずに私たちの父で有り続け、王であり続けてくださる方なのです。このお方は昨日も、今日も、いつまでも変わらない方です。

そして、私たちに命を与える方、愛し支えてくださる方、いつまでも変わらない方として主イエス様は来てくださいました。神さまに感謝しつつ、このとこしえの父なる方をお迎えしましょう。


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