シモン・ペテロの冒険
     
(ルカ5:1−11)

安井 聖師

恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ。 (ルカ:10)


 ペテロは、自信もって一生懸命働いたのに、何の成果もなくガッカリし、むなしい思いで帰って来たでしょう。そして新たな気持ちで明日がんばればよい、と網を洗っていたことでしょう。

 そんなペテロの目の前に、主は来られて、「舟を出してくれないか」と、声をかけられました。神は、あなたのもとに来られ、言葉を語りかけて下さり、どんなことがあっても守り、支え抜いて下さいます。

 話を終えられると、主は、ペテロに驚くべきことを言われました。「沖へこぎ出し、網を下ろしなさい」、と。

ペテロは何を思ったでしょうか。けれども、常識や経験から湧き上がる思いを口にしないで、「しかし、お言葉ですから、網を下ろしましょう」と、疲れた体と心を起こして、主の言葉にかけて漁に出ました。ここから、ペテロの主の言葉にかけて、主に従う信仰の冒険が始まったのです。

 主は、元気なくしゃがみ込んでいたペテロの姿をよくご存知でした。空しさに打ちのめされて、ペッシャンコになっていた彼に、主はご自身の方から近づいて、舟に乗り込んで下さったのです。主は彼の心に触れて、疲れた心を持ち上げてくださいました。そして主がおそばにいて下さる内に、いつの間にか力が湧き上がり、この方に従おう、と支えられ、力づけられて信仰の冒険に踏み出すことが出来たのでした。

 主は、私たちの舟の中に飛び込み、ありのままの私たちに触れて、手を引いて冒険に導き入れて下さいます。ボロボロの、穴の開いて沈みかけている私たちの中に飛び込んで下さるのです。

 主が私たちを愛して、支えて下さるので、私たちは恵みに満ちた信仰の旅をすることが出来ます。手の中に確かなものはなく分からないけれども、ペテロが主の言葉にすべてをかけたように、自分の常識、経験を横において、私たちも語りかけて下さる主の言葉にかけていきましょう。

 御言葉の中に、キリストに包まれている自分をしっかりと見続けましょう。このお方は、決して見放すことをされません。再び捜し求めて、もう一度立ち上がらせて下さいます。主は、何度でも私たちに語り続けて、信仰の冒険を支え続けて下さるのです。

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