2003年10月19日


終末に生きる
         マタイ24章29〜44節

だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、 あなたがたには、わからないからである。     (マタイ24章42節)

 聖書はイエスがまたもう一度この地上に戻ってこられることを約束しています。今度この世に来られる時には、力と栄光をもって、ラッパの鳴りひびく中を、王の王、主の主として来られます。イエス様が天に帰られた時と同じように、天の雲に乗って来られます。私たちたちはこのお方を待ち望みながら生きるのです。

1.主の再臨はいつか
@いつと言うことはできない・・・イエスは天の父だけが知っていて、御使いたちも、自分自身も知らないとおっしゃいました。
Aしるしがある時・・・イエスはちょうど自然界の変化で季節の変化を知るように、きちんとよく見ていれば、イエスの再臨の時は分かるとおっしゃいました。それには次のようなしるしがあります。自然界の異変、教会への迫害、人間関係の冷却化、多くの偽預言者・偽キリスト、世界宣教などです。そして、私たちはかつてないほど、イエスの再臨が近づいていることを知るのです。
B思いがけない時・・・ただ多くの人々にとってはそれは余りも突然だろうと聖書は予告します。今日は来ないに違いないと思っているような時にイエスは来られるのです。
Cすぐに・・・イエスはまた「私はすぐに来る」とおっしゃいました。イエスがそのようにおっしゃってからもう二千年もたっています。けれども永遠に住みたもう神にとっては一日は千年のようであり、千年は一日のようなのです。

2.主の再臨を待ち望む生き方
 イエスを待ち望む者には、それにふさわしい生き方があります。
@目をさまして生きる・・・これは霊的に目を覚まして、いつも主が再び来られることを計算に入れて生きるということです。
A御言葉に立って生きる・・・それは見えるものに頼らないで、神の言葉、神の約束に頼ると言うことです。ただ一つ、時代が変わっても、世界が変わっても、人が変わっても決して変わらないもの、それが神の言葉なのです。
B忠実に思慮深く生きる・・・それは今日イエス様が来られてもいいように準備しておくとともに、なすべき事をしっかりするということです。いつもと同じように忠実に生きればいいのです。

結論  イエス様が来られることを待ち望んで生きましょう。今日イエスを信じて、神の備えてくださった救いを受け入れよう。

 

(10/19 礼拝説教より)