だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、 また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 (ローマ8章34節)
イエスが神の右に座せられたと言うことはどういうことなのでしょうか。
T.神の右に座したイエスの権威
これは神が世界のすべてのものが、イエスを「主」とあがめて生きるように定められたことを意味しています。
そして、このお方は単にすべての者の主であられるだけではなく、私たちの主です。イスラエルの人々はみなメシヤを待っていました。ただイスラエルの人々が待っていたのは自分たちをローマから解放してくれる、ハッピーにしてくれるそういう救い主でした。けれどもペテロは叫ぶのです。このお方こそが主だ!そしてこのお方を主として認めるようにと呼びかけるのです。
このお方は教会の主です(エペソ1:20-21)。神は教会に頭としてイエスをお与えになったのです。私たちはイエスを主としてあがめ、このお方に従います。教会にはいろいろな人々が集まっています。けれども私たちには共通点があります。それは神が私たちを呼び集めてくださったこと、そして私たちがイエスを主とあがめていることです。
U.神の右に座したイエスの役割
イエスは永遠の大祭司として、神の右に座し、父なる神の前に私たちのことをとりなしてくださっています。主よ、この者は罪を悔い改め、私にすがっています。私が十字架の上で流した血の故にこの者をゆるし、あなたの子としてください。私たちは救われた後も罪を犯すこともあるでしょう。罪を犯した時には、神の光の前に出てください。神は悔い改める者をゆるし、支えてくださいます。それはイエスが神の右に座して私たちのためにとりなしていてくださるからです。(ヘブル7:25、ローマ8:34)
V.神の右に座したイエスがもたらした祝福(エペソ2:6)
イエスが上げられて神の右の座に着かれたことによって、私たちもまたイエスと共に上げられて座に着かせてくださったと聖書は言います。私たちは決して弱く、小さく、権威のないものではない。神の右に座しているイエスを主としてあがめて生きていく者はイエスとともに治める。この世にあって力強く、勝利者として生きることができるのです。