あなたがたはこのように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、 イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、 すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、 奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。 (ヘブル2章14,15節)
ヨハネはイエスは確かに死なれた。これはしるしだ、このことを言うのは確かにイエスが私たちの救い主であることを知るためなのだと言うのです。
1.確かに死なれた主・・・イエスの死によって成就したこと
イエスは確かに死んで葬られましたの。神の子であられる方にとって、一番あり得ない、一番大きな奇跡・業は、永遠にいます神の子が十字架について呪われ、そして死なれたと言うことなのです。なぜそんなことが起きたでしょうか。イエスは私たちを愛して、私たちが罪を負って永遠に滅んでしまうことのない様に、私たちのみがわりに罪を負って死んでくださったのです。
そしてイエスは葬られました。それはますますイエスの死を確実にしました。それは確かに私たちの罪のあがないが終わったこと、そして罪の支配の下に、罪に喜んで従っていた古い私がイエス様の十字架によって滅ぼされ、死んで、確かに葬り去られたということのしるしだったのです。
2.私たちの死・・・イエスも共に行ってくださる
死んで葬られる・・・これは私たちには当然のことです。間違いのないことです。私たちは自分の生涯にもやがて終わりが来ることを忘れないようにしたいと思います。人がやがて死ぬことは確実なのです。そして死というのは神に対して背いた人間の罪の結果だと聖書は言います。そのようにして死は人類に入ってきました。ですから、私たちは死を恐れるのです。死の前に私たちは無力です。けれども、死ぬはずのない方、ただ一人呪われる必要のない方が、私たちの罪を負って死んでくださったゆえに、私たちにとって死は、この地上の歩みの終わりであっても、もはやのろいではなくなりました。私たちは確かに一人で死んでいきます。多くの人たちと別れるのです。けれども主は死んで葬られと告白するたびに、私たちが死んで葬られる時にも主が共に行ってくださることを私たちは確認するのです。私たちが一人で死んで葬られると言うことはもはやないのです。