2003年7月13日


イエスの名を信じる
         ヨハネ1章9〜13節

しかし、彼を受け入れた者、すなわちその名を信じた人々には、 彼は神の子となる力を与えたのである。    (ヨハネ1章12節)
我は・・・我らの主イエス・キリストを信ず。 〜使徒信条より〜

私たちが信じる主イエス・キリストというお名前について学びたいと思います。

1.イエス
 「イエス」という名前自体はイスラエルでは決して珍しい名前ではありませんでした。旧約聖書では「ヨシュア」と呼ばれているのがそれです。これは「主は救い」という意味の名前です。すばらしい名前です。マリヤもヨセフもみ使いに「その名をイエスと名付けよ」と言われ、いろいろな思いもあったでしょうが、信仰を持ってイエスとその子を名付けます。マタイ1:21〜23を読むと、主は救いというのはどのようにして起こってくるのかというと、主が私たちと共にいてくださる、そのことによって起こってくるのだといいます。まさにイエスという名をお呼びするたびに、私たちが決して一人ではない、神様が一緒にいてくださるのだと言うことを知り、このお方こそが私の救い主なのだと言うことを知るのです。

2.キリスト
 実はもともとは「キリスト」は固有名詞ではありません。これはヘブル語のメシヤ(「油注がれた者」の意)をギリシャ語にしたものなのです。旧約の時代には大切な神様の御用をする人に、この人は全く神に聖別された特別な人なのだというしるしに油を注ぎました。特別な人とは王様とか預言者とか大祭司です。けれども、このメシヤという言葉は後に、神様が約束された救い主を表す言葉になっていきました。人々はメシヤを待っていました。そしてイエスはまさしく王の中の王、神の御言を語る者、また神の前にとりなす者としてこの世に来てくださったのです。
 ですからイエス・キリストというときに、私たちはイエスこそが神が旧約聖書の中で約束しておられた私たちの救い主ということを告白しているのです。

3.われらの主
 イエス・キリスト、このお方こそが私たちの主です。私たちの主人。私たちが恐れ敬う方、全く王として仕えるべきお方。私たちは本当にイエスを私の主としてあがめ、従っているでしょうか。
 私たちはまた、「われらの」主としてこのお方を共にあがめ、共に従っていきたいと思います。

 

(7/13 礼拝説教より)