2003年6月15日


人の思いと神の思い
         イザヤ55章6〜11節

このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところをなし、わたしが命じ送った事を果たす。    (イザヤ55章11節)

 人生の旅路の中での、思いがけないこと、思い通りにいかない現実に直面する。
「計画どおりにいくのは気持ちがいいものです。だからばか者は、まちがった計画でもなかなかあきらめません」 (箴言・知恵の泉14:19 リビング・バイブル)

1.限りなく遠い天と地(イザヤ55:9)
 天と地が離れているほどに違っている。このみ言葉の現実に私たちは時としてうろたえる。人生を大きく左右することごとは、自分の思うとおりになっていないことによることが多い。

2.天と地をつなぐ物
 人生振り返って、今まで思い通りにきましたか? 人生で本当に神様の素晴しさ、恵み、祝福をいただいたとき、思い通りに行ったときでしたか?
 むしろそうでない病の中で、困難の中で、みずからの失敗や罪に苦しむ中で主の恵みに触れたのではないでしょうか。
 自分の思う通りにならないと神の思いを知りたい。 
 今までの人生で、自分の思うとおりに来た人いますか?
 しかし、神様の深い恵みをいただいたのは、そのうような思うとおりにならないときではありませんか。
 人生で大切なことは実は、思い通りに行かない形で訪れてくる。自分の思いと、神の思いとがじつはあまりにも違うのだ。
 その現実に出くわすとき、人は、うろたえ、先が見えなくなり、恐れ、不安に駆られ、落ち込み、全力で進めない。

3.天と地をつないだみ言葉(ヨハネ9:3 イザヤ64:8)
 天と地を隔てるのは、実は罪である。
 神の口から出る言葉。それが聞こえない:罪が隔てているのだ。とイザヤは言う。
 キリストが来られたのは、まさに天の思い、私たちへの神様のメッセージ、御心を知るためにその隔てとなる罪を十字架で負ってくださった。
 結局、罪とは、自分の思い通りにしたい、という姿勢。
 SIN 自分が中心、それが罪は何をしたかではない。人は罪人だから罪を犯すのだ。自分の思い通りに出来るのだと、現代文明はどんどん私たちに誘惑してくる。しかし、その幻想によっているうちにとんでもない不幸な現実に追いこまれるのだ。
その罪の現実を主の前に悔い改めるとき、人生は変わる。

 

(6/15 西岡 義行師 礼拝説教より)