2003年6月1日


天地の造り主なる神を信じる
         創世記1章1節

はじめに神は天と地を創造された。    (創世記1章1節)

 聖書はその出だしの所で、始めに神は天と地とを創造されたと語ります。神が造り主だと告白することは一体何を意味するのでしょうか。

1.私たちをはるかに超えた神
 神は物事の始まりから存在しておられました。そしてすべてのものはこのお方によって造られたのです。神は何もないところから、ものを存在させることがおできになる。聖書は「無から有を存在させる神」と言います。そして私たち人間もまた神によって造られました。私たちは神と自分を同列におくことは決してできません。
 デカルトは「我思う、ゆえに我有り」という言葉を残しました。私がいるのは確かだ。神がいると考える私がいると言うことはきっと神もいるのだろう。けれども聖書は違うのです。創造者なる神様がいて下さる。だから私たちは存在するのです。

2.目的をもち、完成に導かれる神
 神様が世界を造られたということを知る時に、私たちは世界が無目的に偶然に適当にできたのではないことを知ります。神は世界を目的をもって造られました。ですから世界は本当にすばらしいものとしてできています。
 特に人間を造る時に神は「神の形に人間を造られた」と聖書は言っています。神がどれだけの深い御思いをもって人間を造られたかを私たちは知ることができます。人間は神のすばらしさをあらわすべき者として造られたのです。私たちの生涯には意味があり、目的があります。神様の意図の中で私たちはこの世に生を受けたのです。
 神は目的をもって、世界をあなたを造られました。そして今も神は私たちを作り続けて下さるのです。

3.見えるものの背後におられる神
 神は世界を造られてこうおっしゃいました。「はなはだ良かった」。けれども、私たちは時に思います。これが本当に「良い」世界だろうか。確かに世界はあまりにも多くの問題を抱えています。それは一つには人間が神から離れ、罪を犯して本来的な姿を失ってしまったからです。そうです。見える世界の中には非常に多くの困難があり、また戦いがあります。けれども、私たちは天地を造られた主を信じると言う時に、この見える世界の背後に見えない神がいて下さると言うことを信じるのです。

 

(6/1 礼拝説教より)