2003年5月18日


告白としての信仰
         ローマ10章9〜13節

自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは、救われる。    (ローマ10章9節)

信仰は心に信じ、口で「告白」されるべきものと聖書は教えています。

1.心に信じる
 心で信じるとは私たちの存在全部をかけてということです。また、それは真実にということでもあります。まさに、私たちの存在の真ん中で信じていくと言うことなのです。

2.口で告白する
 信じたら、そのことを個人の心の中に止めておかないで、信仰は「告白」すべきです。
@なぜ信仰は「告白」されなければならないのか
ア.自らの信仰の確立のため
 私たちは人の前に隠しておくことによっていつも逃げ道を残しておきたいものです。けれどもはっきりとそのことを公にすることがあなたの信仰をもはっきりさせ、信仰の道を歩むことをさせます。
イ.証のため
 私たちは自分の信仰を確立するためだけではなく、この世に対して証をしていくためにもはっきりと信仰を告白すべきです。此の世の人々は 救い主を必要としています。そして自分の経験したことを語ってくれる証人達を求めています。
A告白を導くもの
ア.聖霊
 「聖霊によらなければだれもイエスを主と呼ぶことはできません」(Tコリント12:3)。私たちにこのような告白をさせるのは聖霊です。
イ.教会
 実はこの「告白する」と訳された言葉の元々の意味は「一緒に言う」と言うことなのです。これは「イエスは主である」という教会の告白に合わせていくことでもあるのです。私たちは信仰を持った時に、歴史の中にある教会の告白に合わせる者とされたのです。
 この「心に信じる」とか「口で告白する」とか言われている言葉は一回的な出来事を表す動詞が用いられています。これは信仰の出発点です。私たちは心に信じ、口で告白するという、そこが私たちの出発点だと言うことをしっかりと覚え、今日もそのような告白に生きていきたいと思います。

 

(5/18 礼拝説教より)