2003年4月20日


歩みを導かれる神
         ピリピ2章13節

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。    (ピリピ2章13節)

 皆さんは今、どんな願いをお持ちでしょうか。自由、免許、・・・など、私たちにはいろいろの願いがあります。ただ、今日のテキストの中で言われている「願い」とは、神に持ち出して〜なるように願うのでなく、まず神のうちにある願いであり、私たちに神の御業を体験させるものです。神はあなたに〜してほしいと願いを持っておられ、それを私たちに委ねられます。たとえ状況がいかなるものであっても必ず実現に至るものです。私の方に願いがあるのではなく、願いをもっておられる神がおられて、この方が責任を持って導いて下さるのです。

 今日、開かれた聖書のテキストはパウロがピリピの教会の人々に書いた手紙です。パウロはユダヤ教に熱心で、キリスト教撲滅運動をしていましたが、主の声を聞き、救い主を示されて人生が変わりました。迫害に命をかけていたのが、キリスト教の宣教に命をかけるようになったのです。全世界に福音を満たすために、宣教の基地としてローマに行きたいと願わされ、準備をしました。しかし、道がなかなか開かれない。むしろ妨げられ、悪化していく。とうとうパウロはエルサレムで捕らえられ囚人となります。彼に与えられていたビジョンはどうなるのだろうか。けれども彼は囚人として裁判を受けるために、ローマに行くことになります。それは官費で護衛付きという旅行でした。悪い状況と思えることが最善ということがあります。パウロのローマ行きの旅路にはなお多くの困難がありましたが、パウロはついにローマに着いて、軟禁状態という中で、彼を訪ねてくる人々に大胆に宣教したのでした。

 その意味でこの御言は単なる標語、机上の空論ではなく、パウロの人生に裏打ちされた神の御業の事実に基づいたものでした。パウロは信じて立ちなさい、とピリピの信者に書き送りました。ピリピの教会にもいろいろな問題・戦いがありました。教会の活動に熱心な人々の中には、動機が不純(勢力を争う、党派心、虚栄心)な人々もいて、時に一致がなく、一つでなかったのです。
パウロは語ります。神の願いがあなたがたの思いとなってほしい、と。神の願いが自分の願いとされる時、神は私たちを星のように周りを輝かせ、希望を与える存在として下さいます。私たちも神の願いを私のものとして忠実に歩む者とされたいと思います。

 

(4/20 小林 献 師 礼拝説教より)