2003年2月23日


宝はどこに?
         ルカ12章13〜21

あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである。    (ルカ12章15節)

 確かに豊かさというのはよいものです。けれども豊かさが私たちを貧しくしてしまうと言うことがあります。命の豊かさは私たちがどれだけ財産を持っているかで決まりません。イエスは金持ちのたとえを通して、貪欲を愚かな事として戒められました。

1.自分のことしか考えない愚かさ
 彼は自分でも使い切れないほどのものをなお自分のためだけに蓄えておこうとしました。「もっと、もっと」と求めていきました。まさに、その貪欲は際限なしでした。

2.見えるものに頼る愚かさ
 彼は新しく大きな倉庫の完成図を頭に思い浮かべながら、自分の魂に「安心せよ」と語りかけます。彼は目に見える山のような穀物を確かだと思いました。けれども、目に見えるものは私たちを容易に裏切ります。

3.自分が有限のものであることを忘れている愚かさ
 彼は皮肉にも今日お前は死ぬんだよと言われます。「おのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」とモーセは詩篇90篇で言いましたが、私たちはいつも今日が自分にとって最後の日かも知れないという思いを持って生きるべきです。このような有限な私の生涯を支え、決して無駄にはなさらないところの無限の神様にすがるためなのです。
 そしてイエスは神の前に富んだ者となれと教えられました。それは、隣り人のことを考え、見えないお方に頼り、自分が有限なものであることを知って生きるということです。パウロはこう言いました。「まずしいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべてのものを持っている」(Uコリント6:10)。
 どんなに大金持ちになったとしても、天地を造られた神様の目から見ると私たちは本当に貧しい一人にしか過ぎません。けれども何がなくても国籍を天に持ち、天に住まいを持っているその人はどんな人よりもリッチです。あなたは地上の目に見える持ち物は少ないかも知れませんが、罪の借金を神様は全部払ってくださり、永遠の命を持ち、神様の豊かな救いにあずかり、大きな希望をもっているはずです。それらしく生きて行けと、と神様は語られるのです。

 

(2/23 礼拝説教より)