五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。・・・恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。 (ルカ12章6,7節)
私たちの神がどんな方であるか、この朝は二つの側面を取り上げて考えたいと思います。
1. 地獄に投げ込む権威を持つ方
このお方は悪を憎まれます。ですから悪と親しみ、罪を犯す者にとって神は実に恐ろしいお方です。神は罪を犯す者を裁き、永遠の地獄に投げ込むことがおできになるからです。神様は愛なるお方です。けれども恐れるべき方を恐れると言うことは本当に大切なことなのです。恐れるべき神を恐れる人は罪を離れます。
もちろん表面的なことだけを言っているのではありません。神は心の中を見ておられます。神は偽善を嫌われます。それは敬虔なふり、顔をしながら、内側に醜いものを抱え、自分の罪深さを認めようとしないことです。私たちも、汚れたものがもし内側にあったら、それを認めて神の前に出ることです。神は、私は罪人ですと素直に認めて、神に助けを求める者を救ってくださるからです。そして真に恐れるべき方を恐れる人は偽善から解放され、今度は神への信頼へと導かれます。
2.小さな者も見過ごされない方
このお方は愛の神です。五羽の雀は二アサリオン・・・二羽は一アサリオン、一羽はおまけなのです。けれども、そんな、一羽だけでは価値を認めてもらえないような雀さえ主は見ていてくださるのです。主の目はすみずみまで行き届いています。
ちょっと待ってください。つかまえられて食べられてしまったら、神様が見ていてくださると言うことがどれだけの意味があるのか。どうぞ知って下さい。神様が見ていて下さると言うことはすべてが私たちの願いや思いの通りになっていくと言うことではありません。人間的には、神がいらっしゃるならもう少し違った結論が出て来ればよいのにという出来事の中で、けれどもすべてのことを知り、こんな小さい私をも覚えていてくださる神様が、状況をきちんと把握し、握っていてくださると言うことです。
神様の目が注がれています。神様の愛のまなざしが注がれています。素直に自分の汚れを認めて神の前に出で、神様の力をいただき、私も神様を愛していますと証しようではありませんか。