2003年2月9日


内側からきれいに
         ルカ11章37〜54

ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。    (ルカ11章41節)

1.外側ばかり気にしていた宗教家
@内側の汚れ・・・イエス様が彼らの心の中を見るとそこは貪欲と邪悪でいっぱいでした。パリサイ人たちはまさかそこまでとは思っていなかったでしょう。自分の内側の汚れに気づくことのできる人は幸せです。
A外見(体裁)ばかり・・・パリサイ人たちは外見を大切にしました。人にどう見られるか。会堂の上席、広場での敬礼。人にほめられ、あがめられることが大切だったのです。
B憐れみを忘れている・・・彼らは、きちんと決まりを守れないあなたがたは災いだと、他者を切り捨て、裁き、そして絶望に追い込んでいく。どんなにあなたはだめかと劣等感を植え付けることはしても救おうとしなかったのです。
C自分を正義の側におく・・・昔の殉教者の墓を作り、自分もその殉教者と同列におこうとする。けれども自分が、その義人を殉教させた側の一人と同じだと言うことに気がつかない。知ってください。実は自分もどちらかというとパリサイ人や律法学者と同じではないだろうか、そんな風に自分を振り返ることのできる人は幸いです。

2.内側を気にしておられる主
 主は私たちの内側を気にかけ、見ておられます。そこに神は何を求めておられるのでしょうか。
@義・・・それは自分はどれだけ正しいかと、自分の業を誇るような義ではありません。決まりを守れたかどうかでもありません。義なる神さまの目から見て義と認められる人は幸いです。
A神に対する愛・・・あなたの行動の動機は何ですか。神を愛している愛からそのことは出ているのですか。それとも自分を愛し、自分がほめられ、自分の願望が満たされることですか。
B人に対する愛・・・負えない人、信仰の出てこない人、できない人。そんな人のために祈り、その人と共に生き、共に神さまの前に出ていく・・・そんな姿勢が求められています。

3.内側をきよめてくださる神
 心の奥底を見ておられる神から見て私たちの生き方が義と見ていただけるかというと無理です。大切なことはそんな破れた自らを神の前に認めて神に救いを求めていくことなのです。私に救い主が必要だと言うことを認めることなのです。私たちの主は私たちの内側も造られた主です。

 

(2/9 礼拝説教より)