2002年12月22日


惜しまれる神
         ヨナ4章

   わたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、 あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか。 (ヨナ4章11節)

 このヨナ書の一番の中心テーマは神がヨナをどう育てられたか、ヨナの神に対する認識がどのように変わっていったかということです。
 神は私たちの思いや知識をはるかに超えたお方です。私たちも神を知れば知るほど、ああ、自分は何も分かっていなかったと謙虚にさせられるのではないでしょうか。

1.ヨナの知っていた神
@海と陸とをお造りになった天の神 ・・・神は天地の創造主、今も全てのものを支配しておられるお方です。すべてのものはこのお方によって目的をもって造られ、このお方の御手の下にあります。
A主・・・この主という呼び名は、かつてエジプトで奴隷であったイスラエルの民を導き出してくださった神という意味のある言葉でした。
Bあわれみあり、災いを思い返される神・・・この神は実に恵み深い神です。神は罪を憎み、嫌われますが、同時にどんな罪人でも悔い改める者たちを救われる神なのです。イスラエルの民がどんなに背いても、彼らが「私たちは罪を犯しました。ゆるしてください」と泣きつく時に、それでもゆるさないではおれないのが、この神なのです。

2.ヨナの知らなかった神
 けれどもヨナはなお神を知りませんでした。
@ニネベを惜しまれる方・・・神は残虐さで知られたニネベであっても、その町が悔い改める時にゆるされる。神は全世界の神だったのです。ニネベの人々もやはり神が造られたのです。彼らも神のものだったのです。
Aヨナを惜しまれる方・・・けれどももう一つヨナが気づかなければならないことがありました。それは、神がここで惜しまれたのはヨナ自身でもあったと言うことです。ヨナは神に背を向けて歩み始めた時に、神に捨てられて当然でした。けれども、神は忍耐強くヨナに接し、ヨナが神の御思いをわかるように懇ろに語られる。なんでそこまでされるのか。神がヨナを惜しまれたからです。

 神は救われたと言ってもすぐにつぶやくような私たちをもなおも愛して、惜しんで、なおご自身を示すことによって、御思いを悟らせようとなさいます。神は、私たちを愛して、惜しんでくださるお方なのです。

 

(12/22 礼拝説教より)