手をすきにかけてからうしろを見る者は、神の国にふさわしくない。 (ルカ9章62節)
イエスは決意して、エルサレムに顔を向けて歩まれました。
イエスは覚悟を決めなければならなかったのです。
十字架に私たちの罪を負って死ぬというその覚悟です。
しかし弟子たちはこのイエスの覚悟と緊張を違った意味で解釈していました。
それは政治・文化・宗教の中心であるエルサレムに上って王になるという覚悟と考えたのです。
けれどもイエスの見ておられ、「神の国は近づいた」という言葉で語られた神の国は、罪を悔い改め、イエスの十字架を信じることによってその罪を赦された者たちが集まる霊的な領域でした。
ここでイエスはあなたはふさわしい、あなたはふさわしくないと試験をして神の国への合格・不合格を決めようとしておられるのではありません。
ある意味で誰も天国にふさわしいと言える者はいません。
資格のない者がイエスの十字架によって天の御国に入るのです。
けれども、今度は神の御国につながる者にはそれにふさわしい歩みがあるとイエスはおっしゃいます。
それは「イエスに従う」ことです。
@それは覚悟が必要です
イエスに従うことは必ずしもこの世の成功や繁栄を約束しません。
かえってイエスに従うと言うことはこの地上においては多くの困難を負うことにつながることも多いのです。
Aそれは急を要することです
まず父を葬りに行かせてくださいと言った人に、イエスは葬りは死人に任せておけとおっしゃいました。
これはイエスに従うと言うことは急を要することであり、神の国を伝えると言うことは時を惜しんでなすべき急務なのだと言うことです。
Bそれは一途さをもとめられます。
私たちは後ろを振り向かせるような多くの事々の中に住んでいます。手を鋤にかけ始めたのなら、後ろを気にするな。
後ろのものは神にゆだねて、一途に従うことを求められるのです。
イエスに従うと言うことは一面厳しいことです。
けれども、私たちは恵みによって招かれているのだということをいつも覚えていたいと思います。