だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。・・・あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである。 (ルカ9章48節)
ここでの弟子たちとイエスさまのやりとりは非常にちぐはぐです。ある意味で弟子たちとイエスさまの見る目、生きている世界が違ったと言うことなのかもしれません。
T.偉さを競う弟子たちの世界
@比較の世界
弟子たちは比較の世界の中に生きていました。私たちは皆、人と比較して自分を優れていると言いたいからです。ですから信仰も偏差値か何かでとらえている。自分はまあ平均だと安心し、あの人よりは自分はましだと誇ったり落ち込んだりする。
比較の世界は福音の世界ではありません。それは自分の業に頼る律法の世界なのです。
A小さいものが軽んじられる世界
弟子たちの生きていたのは小さい者の価値を軽く見る世界です。幼子なんて数にいれてもらえないようなそんな世界なのです。
B認めて欲しいと叫ぶ世界
そしてそこは自分を認めて欲しいと叫び合う世界です。自分に注目し、自分の良さに目を止めてほしい、認めて欲しいと叫ぶのです。
U.イエスの世界
@比較のない世界
イエスはあなたをだれとも比較することなく、比較の中で出てくる相対的なアイデンティティーではなく、あるがままのあなたを、私をそのまま愛してくださるのです。
A小さいものが大切にされる世界
幼子を受け入れなさいとおっしゃいます。数にもいれてもらえない、そんな幼子も神様にとって大切な大切なかけがえのない存在なのです。
B認め合い、受け入れ合う世界
そしてイエスの世界は受け入れてくれと相手に要求する世界ではなく、まず自らが一番小さい者を受け入れると言うことから来るのです。
一番小さい者・・・一番と言われるとちょっと尻込みしたくなる。けれども一番小さいと言うことが分かったときに、私たちは大きい。それはもはや比較の世界ではない。神が大きいと言ってくださる。神様の御心の中で大きい位置を占めているのだと言ってくださるのです。