「恐れることはない。ただ信じなさい。」 (ルカ8章50節)
イエス様のことを待ち受けていた大勢の群衆の中にヤイロと言う会堂司がいました。
12歳になる娘が死にそうになっていたのです。
ヤイロには立場も地位もあったでしょう。
けれども娘を愛するヤイロは必死でした。
イエスの足下にひれ伏したきり、イエス様が自分の家に来てくださらなければ立ちませんとでも言うかのようです。
ところが、ヤイロが一番恐れていたことが起こります。
家から使いがついて言うには娘が死んだというのです。
けれどもイエス様がヤイロにおっしゃったのは「恐れることはない。ただ信じなさい」ということでした。
1.私たちの内にある恐れ
「恐れ」という言葉だけで、聖書には633回も出て来ます。
それだけ恐れが私たちの歩みの中には多いのです。
けれども神はそんな私たちの現実を知りつつ、「恐れるな」とおっしゃいます。
恐れるなという呼びかけは命令としては無茶な命令です。怖いから怖いのです。
けれどもイエス様は「恐れるな」とおっしゃり、私たちがどうしてもぬぐい取ることのできないような恐れから私たちを解放してくださるのです。
2.信じると言うこと
恐れということから私たちを解放するのは「信じる」ということです。
イエス様はただ信じなさいとおっしゃいます。
信じると言うことは単に何か自分の願うことが成就することを思いこむ意志力ではありません。
それは私と共にいてくださる神に対する信頼なのです。
娘の死の知らせを聞かされたヤイロにとっての選択肢は恐れと絶望に身をゆだねるか、それともイエスの言葉を無条件に信じて受け入れるか、どちらかでした。
私たちには聞き流すべき言葉と聞くべき言葉があります。
そしてイエスは「ただ信じなさい」と悪い知らせに倒れ込みそうになるヤイロをかたえにあって支えられたのでした。
3.イエスの御業
人々はヤイロの娘が死んだときに、もうこれ以上イエスに来てもらっても仕方がないと言いました。
けれどもイエスは死んでいたヤイロの娘を生かしてくださいました。
人間にとっては絶望であり、全ての希望の果ててしまうその死というところも、神にとっては絶望の場ではありません。
神には不可能なことはないのです。
御心ならここまですることのできるお方だからその「恐れるな」という呼びかけに力があるのです。