2002年7月14日


私たちは死にそうです
          ルカ8章22〜25節

イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」。   (ルカ8章24,25節)

1.苦しい現実
 弟子たちの中の何人かはガリラヤ湖の漁師でした。 けれども、その彼らが叫ばないではいられないような突風と大波に彼らはさらされていたのです。 私たちの歩みの中には、私たちの許容力を越えるような困難がおそってくることもあるのです。
 けれどもそんな大嵐の中でイエスは眠っておられました。 けれどもこれも私たちの現実の感覚と平行しているように思えます。 困難の中に置かれているのに、まるで神様が寝ておられるようにさえ思えてくるのです。

2.イエスの権威
 けれどもイエスは弟子たちが叫んだときに起き上がって、風と浪をおしかりになったと聖書は言います。 すると風と浪が言うことを聞いて、静まり、止んでなぎになりました。
 そこに生じたのは恐れであり、驚きです。 弟子たちはイエス様がこんな風に浪と風に命じることによってそれを静めることがおできになるとは想像できなかったからです。
 私たちは神様にすがりつき、神様に助けを求めます。 けれども本当に神様が助けることがおできになると信じているかというと案外信じていません。 神様が鮮やかに御業をなさるときに、私たちは恐れを感じるのです。 神様のなさることは私たちの思いや願いを遙かに越えていて、神の御言葉の力、その権威はあまりにも大きいからです。

3.イエスの求められる信仰
 「あなた方の信仰はどこにあるのか」。 弟子たちに語られた主のお言葉は私たちへの大きなチャレンジであり、慰めです。 信じて大丈夫なんだぞ!神は私たちに励ましのメッセージを語り続けられるのです。
 私たちの求める信仰。それはイエスが父なる神の前で持っておられたものでもあります。 嵐の中にあっても平安の中で休むことのできる信仰です。 私たちはイエスの内にある父なる神への信頼を学びたいと思います。 そしてよし信じるぞではなく、聖霊によってイエスが私たちの心の内にすんでくださるときに、私たちの内にどんなに不安が大きかったとしても、内にある主イエスの平安が私たちを支えるのです。

 

(7/14 礼拝説教より)