2002年7月7日


神の言に立つ者
          ルカ8章16〜21節

神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである。   (ルカ7章47節)

 1942年6月26日早朝、ホーリネス系の牧師たち134名が検挙されました。 私たちの教会の初代の牧師であった車田秋次師も検挙され、獄中生活をしいられました。 ホーリネス教会は閉鎖・解散させられました。 何が問題になったかというと、文字通り聖書を神の言として信じ、告白していたからです。 御言を信じると言うことが命がけの時代がありました。 私たちも先輩の歩みにならって御言に立ち、御言に従う者でありたいと思います。

1.すべての人をてらす神の言
 神様の言は全ての人に与えられています。 神の国の福音は全ての人に明らかであって、それを覆い隠すことはできません。 入って来る全ての人はそれを見るのです。 神の言を押さえ込み、隠し通すことはできません。 それは全ての人をてらす世の光だからです。

2.全てのものを明るみに出す神の言
 神の言の前に立つと言うことは覚悟のいることです。 明るいところに出ると言うことは私たちの汚れたところも明るみに出されてしまうからです。 明るみ出された時に、謙虚に悔い改めるべき所を悔い改めることのできる人は幸いです。 なぜ聖書信仰が弾圧されたのでしょうか。 その当時、神としてあがめられていた天皇も、天の神の前に一人の罪人であり、神の裁きの下に立たなければならないと言うことを直視させたからです。

3.語られている言をどう聞くか
 私たちに与えられている言を私たちがどう受け止めるかが問われています。 それはやがて明らかになっていきます。 きちんと御言を聞いてそれを守っていくと、そこにすばらしい実が実っていくからです。 きちんと御言を聞いている人はますます豊かにされていきます。 けれども御言をしっかり聞いていない人は、その持っていると思っているものさえも取り去られてしまうのです。

 ただ、御言を行う者がイエスの家族とよばれます。 この「行う」という言は8節では「結ぶ」と訳されています。 聞いた御言が私たちの生活の中に形を取っていく。 そのことを神は願っておられます。 そしてそれは決してがんばってやりましょうというのではありません。 がんばっていたら迫害の中にいても大丈夫というのではありません。 御言を聞いて行うとは、神に従い、御言をしっかりと信じ、これにすがっていくということなのです。

 

(7/7 礼拝説教より)