本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。 (ヨハネ9章3節)
14年前、思いもしない時、健康が取り柄だった私は「進行性の難病―脊髄小脳変性症」と宣告されました。
この病気は小脳が萎縮し、運動器官がマヒする病気です。
歩行困難、言語障害などどんどん悪くなる、現在の医学では直らない病気です。
病気で失ったものもありますが、得たものも多くあります。
今まで見えなかったこと、わからなかったことに気付かされました。
大切なものを失って本当の大切なものに気付いたのです。
限られた人生を精一杯生きようと思います。
この聖書の個所は私のライフメッセージです。
難病と宣告された時は通夜のように暗くなりました。
どうして?と祈っている時、「神の御業が現れるためである」と言うこの御言葉が与えられたのです。
病は三つの意味で私に祝福になりました。
1.人との関わりの中で
病気を通して本当の苦しみ、痛みを理解して人に近づくことができるようになりました。
神様は不思議です。主の栄光のためにすべてのことはなされます。
2.自分との関わりの中で
病むことにより、私の傲慢も砕かれました。
それまでもっと誉められたい、認められたい、と肩に力が入っていました。
この病気は神様から私へのプレゼントです。
病気によって謙虚にされ、今、公立のところでも証し出来る機会が多く与えられています。
3.神との関わりの中で
病気をして「今を生きる」がモットー、ライフスタイルになりました。
明日はどうなるか判らない今日、今を精一杯生きたいと思います。
「今の時を生かして用いる」ことは、あなたに任されています。
あなた次第。限られた人生です。
どれだけ生きるかでなく、人生の質が最も大事なのです。
限られた命を主のために有効に使いたいと思います。
今、「どうして」「なぜ」と分からないことも多くあります。 けれども後で分かってきます。 私の場合は遺伝であり、祖父、父、妹も発病しました。けれども親のせいではない。 信仰をいただき、愛の神様に感謝できることは恵みです。 苦難の目的を知っているからです。 苦難を神の栄光のため、御業の現わされるためと受け止めて歩んでいくことができるのです。