良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、 耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。 (ルカ8章15節)
ここでまず覚えたいのは「種は神の御言葉」という一節です。
種は小さくてもそこには命があり、百倍の実を結ばせる力があります。
神の言葉は私たちに命を与え、私たちを造りかえていきます。
神が最初世界を造られた時、その御言葉をもって世界を造られました。
人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのです。
けれども、神の言葉が語られても、その聞く聞き方に4種類あるとイエス様は教えられました。
@道ばたのような聞き方
御言葉が心の中に入ってとどまらないように、悪魔がその御言葉を奪い取っていくのです。
悪魔は御言葉が大きらいです。
「御言葉なんか読むのやめておけ」と悪魔は私たちに働きますし、読んでも聞いてもできるだけ早く御言葉を忘れるようにと悪魔は私たちを誘うのです。
A岩の上のような聞き方
これは御言葉を表面上は喜んで受け入れる、信じる。
けれども、あくまでも表面上のことで、その理解はとても浅い。
だから試練が襲ってくると信仰を捨ててしまう。
自分には自分の考え方があって、生き方があって、そこまで入り込まれたらそれは嫌だ。
岩のような固い心では御言葉が実を結んでいきません。
Bいばらの地のような聞き方
これは御言葉を受け入れる。
けれどもだんだん生活の心遣いや富や快楽が大きく育っていって、この世で生きる上でのつき合いや、お金、楽しみがわあっと心を占領していく。
聖書もいいけれど、神様の御言葉もいいけれど、これもいいなあ・・・と思っている内に結局は心をとられてしまう。
C良い地のような聞き方
これは御言葉を聞いて、正しいよい心でしっかりと守る。
実が結ぶまでには忍耐もいる。
悪魔はそんな御言葉信じても無駄だと言い、あてにならないとささやく。
この御言葉、本当かしらと思えるようなことどもが起こってくる。
けれどもどこまでも御言葉にすがり続ける。すると御言葉は実を結んでいく。
豊かに実を結んでいくのです。
私たちはどのように御言葉を受け止めようとしているでしょうか。 私たちはどの地に近いでしょうか。 私たちにとって大切なのは、自分の姿を認めて悔い改め、神の憐れみを求めて、神に耕していただくことなのです。