2002年6月16日


多く赦された者
          ルカ7章36〜50節

この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。 少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。   (ルカ7章47節)

1.多く愛すると言うこと
 シモンというパリサイ人がイエス様を食事に招きました。 そこに一人の女性が現れます。 そこに列席した人々の顔色が変わります。 その女性はその町で知らない人はいない罪の女、性を商売にするような女性だったからです。 その女性がイエスの足下に来るとそこでさめざめと泣き始めました。 その涙がイエスの足をぬらしました。 彼女は自分の髪をほどいてその髪の毛でイエスの足をぬぐい、何回も足にキスをして、そして持ってきた高価な香油をイエスの足に塗ったのです。
 人々はこの女性がどんな職業の女か知っていましたから、この女性のした行為を「何とはしたないこと」と見ていました。 けれども彼女はパリサイ人シモンもしなかった最高のもてなしをイエスにささげたのでした。

2.多く赦されたと言うこと
 なぜ、この女性はここまで愛を注ぐことができたのでしょうか。 それはこの女性が多く赦されていたからです。 この女性はで、とうてい救われることはないと考えられていました。 けれどもおそらくこの女性はどこかでイエスと出会い、その話を聞く中で神の愛を知ったのです。 彼女は自分が救われるためにどんなに多くのことをゆるされなければならないかを知っていました。 そして彼女は多く赦されたことを感謝して、イエスに近づき、泣かないではいられなかったのです。 キスをしないではいられかったのです。 香油を塗らないではおれなかったのです。
 私たちは皆、愛にあふれた人になりたいと思います。 愛の人と言われるような人間になりたいと思います。 愛の人になるにはどうしたらいいのでしょう。 一生懸命修養しましょうか。 愛の人になる秘訣があります。 それはかわいそうな人々を一生懸命思いやることではなく、自分がどんなに多くゆるされたかを知ることです。
 私たちは案外、自分はあまり赦されていないと考えます。 だから信仰もいつの間にか義務になり、しんどくなる。 私たちはいっぱいゆるされなければならなかった。 私たちの罪はイエスが十字架に身代わりになって死ななければならないほど大きかった。 私たちはどんなに愛しても愛したりないほど多く赦されたのです。

 私たちはどのように主を愛したらよいでしょうか。

 

(6/16 礼拝説教より)