2002年5月19日


主を待ち望む者たち
          イザヤ40章27〜31節

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。   (イザヤ40章31節)

 待ち望むという言葉は日本語の聖書でも68回も出てくる非常に大切な言葉であり、私たちの信仰にとっても非常に重要なことを言っているのです。

1.待ち望む者たちとは
 誰が主を待ち望むのでしょうか。 それは元気で、余力があって、はつらつとしている者たちというよりも、疲れて、弱って、勢いのない者たちです。
 私たちは弱さを経験したり、限界を感じたり、試練の中に置かれることがあります。 けれども、そのような弱さは私たちにとっては大きなチャンスでもあります。 そのような中で私たちは神様にすがり、神に助けを求めます。
 「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。 これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇119:71)。 弱いこと自体は決して悪いことではありません。 パウロも神様から「私の力は弱さの中に完全に現れる」と言いました。 私たちの弱さは私たちがその弱さの中で神を待ち望む時に、神の働かれる大きなチャンスなのです。

2.待ち望むとは
@神に期待すること・・・神はそのことをして下さると信じて期待することです。 それは熱心に期待し、希望をもって歩むことです。 人間に期待すると裏切られることも多いのですが、神に期待する人は裏切られることがありません。 人間への希望は失望に終わることがありますが、神への希望は失望に終わることがありません。 私たちが信じ、期待して祈っていた通りにならなくて、一時的に失望することがあったとしても、決して失望に「終わらない」と言うことを私たちは知っています。
A待つ・・・神の時を待つことです。 神は約束されたことを必ず実現して下さいます。 ですから神の時を信じて待つのです。 「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である」(ヘブル10:36)。

3.何を待ち望むのか
 私たちは何かが起こることを待ち望むのではありません。 神様自身を待ち望むのです。 イエス様において救いの御業を成し遂げてくださり、今も私たちと共にいてくださり、やがて再び来てくださるイエス様を待ち望む。 そして主を待ち望む者たちは決して裏切られることがないのです。

 私たちはこの一年本当に主を待ち望む者たちでありたいと願っています。

 

(5/19 礼拝説教より)