2002年5月5日


神の命令
          創世記1章26〜31節

神は彼らを祝福して言われた「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、 地を従わせよ。…地に動くすべての生き物とを治めよ。」  (創世記1章28節)

 救い主イェスは何のために来られたのでしょう。 「神の子羊、世の罪を取り除く子羊」と紹介され、良い羊飼い、羊として来られた方はどのようなお方でしょう。
このお方は聖い、義しいお方です。 ただ私たちに善くして下さる方でなく、私たちの上におられ、私たちを造られたお方でなのです。 そのお方の御前に出て行こうとする時、何が必要でしょうか。 羊などの動物を殺し生命を献げて、赦して下さいと神の前に出なければならなかったのです。 出エジプト記の過ぎ越しは十字架を表し、羊のように救い主が血を流してくださって、私たちがその十字架の中にいると大丈夫ということを表しています。 罪がわからないと、主の救いがわかりません。
 ソロモンは伝道の書で「神を畏れ、その命令を守れ。 これはすべての人の本分である」と記しています。 私たちはどれほど神様の命令を聞いているでしょうか。創世記には神様の最初の命令が記されています。 果たして地を従わせ、治めているでしょうか。 食べるものが十分あるのに食物に困っている人が世界に多くいます。 豊かな人がより良いものを得ようとして、穀物を家畜の肥料にしています。 自分たちの都合の良い生き方が、地球の循環や組み合わせを狂わせ、周りの人を苦しめ、害のあるものだとして多くのものを駆逐しました。
 最初の命令を忘れ、自分を一番に優先し、快適に身を守ろうと、都合の良いように作り変えることによって、かえって首をしめ、環境を悪化させています。 神の命令に従わないで、ガン細胞のように自分たちの世界を造り、広げているのです。
 クリスチャンであるなしに関わらず私たちの生活そのものが加害者となっています。 神の命令に従わなくていいのでしょうか。 何もしないでいいのでしょうか。 神様は、もう一度命令を聞いて、従って生きることを願っておられます。 そのために主は来られました。 私たちの罪を赦し、神の子にして下さったのです。 日常生活の中でそれぞれが役割を与えられています。 神様が何を求めておられるか、神に立ち返り、神様の命令に聴き従い、神様のために与えられた役割を果たし、本当に生きる者とさせていただきましょう。

 

(5/5 礼拝説教より)