敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 (ルカ6章27節)
「敵を愛し、憎む者に親切にせよ」。 この御言葉を読んで、「えー」と思う人は幸いです。 正直な反応だと思います。 けれどもイエスを信じて歩む者たちはそのような歩みをしていくことができるのです。
1.敵はいていいのか
敵とは何でしょうか。このところでイエス様はいろいろな言葉でそれを言い換えておられます。
憎む者・呪う者<悪口を言う>・はずかしめる者<侮辱する>・自分を愛してくれない人・自分によくしてくれない人・自分からだまし取ろうとする人・恩を知らぬ者・悪人・・・。
敵がいても、それは私たちの罪ではありません。
あいつは俺の敵だとにらみつけて生きていいと言うことではありません。
この地上の生涯の中では私たちのことをあしざまに言う人、私たちに悪意をもって近づいてくる人もいるのだということです。
それは、相手の問題であることもありますし、私の未熟さの結果であることもあるでしょう。
2.敵を愛する
けれどもイエス様は敵を愛しなさいとおっしゃいました。愛するということは単に感情の問題ではなく、意志であり行動です。
それではなぜ敵を愛するように勧められるのでしょうか。
@報いは大きいから
私たちは敵を愛したら損だと考えます。やられたらやりかえさないと損だ。
確かにこの世で相手から見返りの何かが返ってくると言うことはなくて、いや現実としては、愛しても愛を返してもまた憎しみのエコーが返ってくることの方が多い。
でも、イエス様は受ける報いは大きいぞ!とおっしゃる。
Aいと高き者の子となるから
ここでいと高き者の子になるとイエス様がおっしゃったのは、いと高き者の子に似つかわしい者になるということです。
神様を信じて、神の子になって、神様を見つめながら生きていくと、神様の内にあるあわれみ深いご性格が私にも映ってくるのです。
B敵だった私が愛されたから
私たちは神の敵でした。神から憎まれ、呪われ、滅んでしまって当然のものだった。
でも敵であった私を愛して、神は御子イエスをこの世に送ってくださった。
えー、敵を愛するの?と言う前に、敵であった私を天の父はここまで愛して下さったと言うことを知りたいのです。
敵を愛しなさい。
ただ、私たちをどんなに絞ってもそんな愛は出てこない。
どうぞ神様に求めて下さい。
神様は愛のない者に愛を与えて下さる方だからです。