2002年2月3日


しあわせな人たち
          ルカ6章20〜26節

あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。 神の国はあなたがたのものである。 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。 飽き足りるようになるからである。 あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。 笑うようになるからである。   (ルカ6章20,21節)

イエスがここで弟子たちに語られた言葉は少々ギョッとするような言葉です。 貧しい者がさいわいで、お金持ちは災いだ。 泣いている人が幸せで、笑っている人はわざわいだ。 飢えている人がしあわせで、満腹している人は災いだ。ええって思う。 イエスの考えるしあわせとは何でしょうか。

1.しあわせとは神からの祝福
 ここでイエス様がおっしゃった「幸い」は何かたまたまいいことがあって「ラッキー」というようなしあわせではありません。 これは神様に祝福されていますという意味です。
 祝福とは神様が私を受け入れていてくださるというしるしです。 他の何がなかったとしても、神様に愛され、神様の目にとめていただいて、神様に祝福されている。 それが何よりしあわせなのです。

2.しあわせとは神に求めるもの
 そして、このしあわせが神から与えられる恵み・祝福である以上、私たちは神様にしあわせを求めていく必要があります。 本当にあなたに祝福を与えることができるのは天の神様だけなのです。
 貧しい者・飢えている者とはちょっと今月足りないなあというような者ではなく、物質的にも精神的にも霊的にも行き詰まって、もう今日神様から恵みをいただかないとにっちもさっちもいかないというそう言う者のことなのです。 それを知って、必死で神様を求める人は幸いです。 それほどの貧しさ・それほどの弱さを知っている人はしあわせです。

3.しあわせとは神の大逆転
 貧しいと言うことがなぜ幸いなのか。 飢えていることが、泣いていることが、憎まれることがなぜ幸いなのか。
 神の国はあなたのものだ、と神の国を建て上げ、与えてくださるお方がいる。 貧しい者が、実は貧しいで終わらない。 「貧しいようであるが多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべてのものを持っている」(Uコリント六10)。 貧しいように見える。でも、神の国を持っている。 だとしたら、あなたはどんな金持ちに勝って、富んでいる。 飢えているとしても飽き足りるようになる。 今、どんなに悲しく、つらく泣いていたとしても、神はあなたを必ず笑わせてくださる。

私たちの生涯に大逆転をもたらしてくださる主に従っていきましょう。

 

(2/3礼拝説教より)