2002年1月27日


神に採用された人々
          ルカ6章12〜19節

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。 それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。   (ヨハネ15章16節)

1.神の選びによる採用
まず最初に覚えておきたいことはこれらの十二人がイエスによって選ばれた人々だったということです。 私が神を選んだ・選ぶと言うよりも、そうではなくて、神が私をあなたを選んでおられるのだ。 私たちが神を信じ、神に従っていくという時に、その背後に私たちを選んでくださる神様がおられる。
だれでも良かった訳ではありません。 あなたでなければならなかった。 神様はあなたを名指して召して下さったのです。

2.神の採用基準
神様は私たちが何かがあるから、何かができるから選んでくださったのではないのです。 神様は弱い、小さい、できない、私をあえて選んでくださった。 罪深く、弱く、もろく、足りない私たちを、そのことを重々ご存じであるにもかかわらず、あえて召して、神様のすばらしい御業をあなたの生涯の上に顕そうとしておられる。 その意味で、私たちは私たちを選んでくださった神様の前で何か飾ったり、立派な者でもあるかのように振る舞う必要はありません。 神は全部ご存じの上であなたを選んでおられるからです。

3.神に採用された者の生涯
この一二人の弟子たちはイエス様と共に足かけ三年間を過ごしました。 マルコはイエスが彼らを選ばれたのは、彼らをそばに置いておくためだったと言っています。 イエス様はあなたを御自身のそばにおいておきたいのです。 神様はあなたと共に歩んでくためにあなたを選ぼうとしておられます。
そして、彼らは使徒としての使命を与えられました。 「使徒」という言葉には「命令を受けて送り出された者」という意味があります。 主は私たちに使命を与えて送り出してくださるのです。 これは、送り出した者の権威をもって、預けられて、送られた者という意味なのです。
知ってください。私たちは神様によって目的をもって造られました。 私たちが今、こうして生きている、いや、正確に言うと、生かされていることには意味がある。 目的がある。理由がある。果たすべき、私でなければできない使命がある。

 あなたも神様に名前を呼ばれています。お答えして、神様と共に行く人生を始めませんか。

 

(1/27礼拝説教より)