そののち、イエスが出て行かれると、レビと言う名の取税人が、収税所にすわっているのを見て「わたしに従ってきなさい」と言われた。 すると、彼はいっさいを捨てて立ち上がり、イエスに従ってきた。 (ルカ5章27,28節)
1.レビを見られた主
イエスはレビという取税人がすわっているのを「見た」と書かれています。
当時、取税人はユダヤ人たちから大変嫌われ、軽蔑されていました。
けれどもイエス様はこのレビを見られた。
この「見て」という言葉はにとめる。
意識して目的をもってじっと見つめるというような意味です。
宗教家たちからは見下げられ、軽蔑され、汚いものでも見るかのように目をそむけられていた、そのレビを見つめておられた主。
この年の初め、あなたのことを見ておられる主がおられるます。
あなたが優秀だからではない。できがいいからではない。
でもありのままのあなたを見ておられる神がおられるのです。
2.レビを招かれた主
イエスはレビを招かれます。
「私に従ってきなさい」。
この私に従ってきなさいという呼びかけは、新改訳聖書にもあるように、「ついてきなさい」という言葉です。
このお方はいつも私たちの歩む歩みの一歩先を行って、私が一緒にいるから大丈夫だからついてきなさいと私たちを招いてくださるのです。
今年もイエス様が先に行き、共に歩んでくださって「さあ、ついてきなさい」とおっしゃるであれば、私たちは何を恐れることができましょうか。
イエス様についていくのが私たちにとっても一番幸せなのです。
3.イエスに従ったレビ
レビはいっさいを捨ててイエスに従いました。
私たちはイエス様についていく時には罪や悪い習慣からは離れなければなりません。
いや、罪でなくても、イエス様についていくことの妨げになるものは置いていかなければならないのです。
これは優先順位の問題です。
イエス様より大事なものがあってはなりません。
けれども同時に、本当にイエス様に出会ったら、他のものなんかどうでもよくなってしまう。
それは自分が見えなくなるとか、おかしくなってしまうとかいうことではなくて、イエス様の愛と恵みは比べものにならないくらいは大きく、深いのだと言うことなのです。
イエス様は罪人の私たちを見つめ、についてこいと招いておられます。
この年の初め、イエス様を信じ、従う決断を新たにさせていただこうではありませんか。