ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 初子(ういご)を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。 客間には彼らのいる余地がなかったからである。 (ルカ2章6,7節)
1.神の摂理の中での誕生
全世界の人口調査をせよとの命令がその当時の世界を支配していました、皇帝アウグストから出されました。
彼はその当時の世界を動かしていました。
少なくとも、そのように見えました。
マリヤもヨセフも自分たちの置かれている立場をうらんだかもしれません。
なんだって、こんな大変な時に、自分たちの本籍地にもどって登録をしなければならないのか。
けれども、聖書は「ところが」と語ります。
単に「そして」と言うのではなく、「ところが」なのです。
ローマ皇帝の言うがままに世界中が動かされているように見える中で、実はローマ皇帝をもその御手の中に動かしている神がおられる。
私たちの人生はどうでしょうか。
私たちは自分の置かれた環境を恨んだり、自分の不運と言えるような歩みを人のせいにしたりするでしょう。
けれども私達はこの朝、今一度、覚えたいのです。
私達の周りに置かれている事柄も、人物も、みんな神様の深いご計画の中で置かれている。
私たちの周りで起こってくる一つ一つには、意味があるのです。
2.余地がなかった
イエス様は二千年前にユダヤの田舎に生まれたのですが、今も私達の心の中に来てくださいます。
遠くにいて、見つめてくださるだけではない。
私達の所に来て、私たちの内に宿ってくださるのです。
ところがイエス様がお生まれになったとき、誰も場所を空けようとしませんでした。
救い主は家畜小屋で生まれなければならなかったのです。イエス様のお入りになる余地がありますか?
自分の仕事のこと、家族のこと、趣味のこと、お金のこと・・・いろいろなことで心がいっぱいになって、イエス様のことなどほとんど考えていない。
けれどもイエス様はそんなところに来てくださった。
神の子イエスをも閉め出すような私たちの所に、私たちを愛して来てくださったのです。
けれども、もしあなたが、すでにイエス様の愛を知っておられるなら、イエス様を隅っこに押しやってはいけません。
イエス様にあなたの心の一番の大切な所にいていただきましょう。
そして最後はあなたが心の中の親分然として座り込むのをやめて、イエス様に場所を譲るかどうかです。
あなたの心にはイエス様の入る余地はありますか?