恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。 (ルカ1章28節)
御使いはマリヤの所に来て「おめでとう」と言いました。 何がおめでたかったのでしょうか。それはマリヤが神の恵みにあずかっていたからです。 マリヤに与えられた主の恵みについて学んでみたいと思います。
1.主が共におられる
御使いはマリヤに「主が共におられます」と語りました。
それは、まさにイスラエルにとって「救い」を意味する言葉でした。
彼らは祝福も勝利も繁栄もみな、主が共におられるというところから来ていることを知っていたからです。
ただし、そのマリヤの場合には単に一緒にいてくださると言うだけではありませんでした。
まさに、彼女の体の中に主が宿ってくださったのです。
けれども知ってください。今も、聖霊によって主が私達の心の内に住んでくださる。
自分の貧しさ、弱さ、汚れを知って主の憐れみを求める、そんな者の内に主は住んでくださるのです。
2.神の全能の力を経験する
マリヤが救い主を宿すと言う時それは特別な方法をとりました。
マリヤは処女だったのです。
マリヤはとまどい、「どうして、そんなことが」と御使いに答えます。
けれども、マリヤは「神にはなんでもできないことはありません」という御使いの言葉を受け入れ、そしてマリヤの上に神の全能の力が働いたのでした。
神は私達の生涯にもその全能の力を働かせ、御業を表してくださいます。
大切なことがここにも二つあります。
@お言葉を受け入れること
「神には何でもできないことはない」と御使いに言われた時、マリヤはその御言葉をそのまま信じたのでした。
お言葉を受け入れないところに主は力ある業を行うことができません。
主のしもべとして生きる
マリヤは自分を「主のはしため」と言いました。主の奴隷ということです。
主が何を自分にし、どのように自分をお用いになっても構いません、と彼女は主の前に僕として出たのです。
「主のはしため」ということはマリヤにとって決してやさしいことではありませんでした。
けれども彼女は全部をゆだねて神の前に立つのです。
おめでとう!と御使いは言いました。
そして、彼女が御言葉を受け止め、主に自分を献げて生きることを決意した時に主の大いなる御業を経験できたのでした。
神はこの朝、私達にもおめでとうと呼びかけています。
この朝は、あなたにとっても御言葉をきいて、主に従うチャンスのときだからです。