2001年11月11日


そうしてあげよう、きよくなれ
          ルカ5章12〜16節

イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。  (ルカ5章13節)

1.らい病の男
 ある町で、イエス様のところにひとりのらい病人が近づいて来ました。 聖書にあるらい病とは「重い皮膚病」であって現代ハンセン氏病と言われている病気とは違うのではないかとも言われています。
 ただ確かなことは、この病がイエスの時代にも非常に恐れられている不治の病であったことです。 当時、人がこの病になるとその人は町の中に暮らすことを許されませんでした。 そして人々と出会うような時にも「汚れた者です。汚れた者です」と叫ばなければならなかったのです。 この病は単に不治の病であっただけでなく、宗教的にも汚れているとされていました。 この病の男が「癒して」という言葉ではなく、「きよめて」と言う言葉を使ったことにはそのような意味があります。
 けれどもこの男はこう思ったのでしょう。 自分はこのままだと死を待つばかりだ。 けれどもうわさに聞くイエス様だったら私をきよめてくださるだろう。 そして彼は勇気を振り絞ってイエスに近づき、イエスの前にひれ伏して言いました。 「もしあなたさえ、そのように願われたら、必ず私はきよめられるのです」。

2.手を伸ばされたイエス
 イエスはこの男を深くあわれみ、彼に対して手を伸ばされます。 汚れているとされていたらい病の男にさわると言うことはまさに彼の汚れを共に負うことにもなりました。 けれどもイエスは彼に触れることを躊躇されなかったのです。
 そしてイエスは「そうしてあげよう。きよくなれ」とおっしゃいました。 新改訳の聖書ではここを「私の心だ」と訳しています。 まさに彼がきよめられることは神の御心だったのです。

3.きよめられた男
 病はただちに去ってしまいました。 この男は病から自由にされ、きよい者とされたのです。 この男が信仰をもってイエスに近づいたからです。
 聖書ではこの病を私たちの心に巣くい、私たちの心を麻痺させ、無感覚にし、ついには滅びに至らせてしまう罪を象徴するものとしてとらえられています。
 イエスは私たちの心がどんなに汚れていても私たちが信仰をもって近づく時、私たちに触れ、きよめてくださるのです。

 

(11/11礼拝説教より)