2001年11月4日


深みにこぎ出せ
          ルカ5章1〜11節

先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。 しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。  (ルカ5章5節)

1.くたびれたペテロ
ガリラヤ湖に朝が来ます。 夜通し働いて、何も獲れなかった漁師たちが網を洗っています。 そこにイエス様がいらっしゃる。 「シモンお願いがある」。 シモンは朝、疲れを覚えながらもイエスの求めに応じて舟を少しこぎ出し、イエスが話をするのを聞いていたのでした。 話が終わる。
ああ良かった。これで家で休める。 ところが、イエスは「沖へこぎ出して漁をしてみなさい」とおっしゃる。
ペテロにはいろいろ言いたいことがあったでしょう。
・自分たちは疲れている
・網はもう洗ってしまった
・自分の経験によると魚は昼は獲れない
・イエスは魚を獲ることには素人だ、そんな素人に指図されたくはない。
けれども彼は「お言葉ですから」と自分の疑い・疑問・経験・疲れ・行き詰まり、そんなものに逆らうようにして、彼はイエスに従うのです。
私たちにも神は同じように声をかけらます。 私たちがうち沈んで、とても沖にこぎだすなど考えもしないようなそんなときに、自分の常識や経験や、信念やそんなものに縛られていないで、沖にこぎ出せ!とイエスは声をかけられるのです。

2.恐れに打たれたペテロ
けれども、おびただしい魚の群で網が破れそうと言うのは全く予想外でした。 彼らは驚きます。これは偶然ではない。 奇跡だ。
ペテロはイエスのもとにひれ伏し、自分の罪深さを告白するのです。 イエスの言葉を笑い、確かに従ったとはいえ、全く信じていなかった自分の姿を見せられて恐れ震えたのでしょう。 神が恵みをもって近づいてくださるときに、私たちは恐れおののくのです。

3.変えられたペテロ
けれども、イエスは声をかけられます。 「恐れることはない。 今からあなたは人間を獲る漁師になるのだ」
これはいわゆる命令ではありません。 神の前に悔いて震えている者への恵みの宣言です。 人を捕らえて神の恵みの世界に引き出す務めを持つ者・・・主にある者すべてがそのように作りかえられていくのです。
そして、その大きな恵みをそのまま受け取る者は、全部を捨てても惜しくありません。 イエスに従い、人間を獲る漁師としていただくその恵みを感じないではおれないからです。

 

(11/4礼拝説教より)