2001年10月28日


いったい何という言葉だろう
          ルカ4章31〜44節

これは、いったい、なんという言葉だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、彼らは出て行くのだ。 (ルカ4章36節)

人々はイエス様に驚きました。 けれどもそこで出てきた言葉は「イエス様ってすごい、何と力があるのだろう」という言葉ではありませんでした。 人々が言ったのは「これは、いったい何という言葉だろう」というイエスの言葉に対する驚きでした。
私たちはどれだけイエスの言葉に、または聖書の御言葉に驚いていますか。 聖書の言葉が正しく語られ、受け取られる時に、そこには大きな驚きが生まれてくるのです。
なぜ人々はイエスの言葉に驚いたのでしょうか。 それはイエスの言葉に権威があったからです。 言葉に権威があるとはどういうことでしょうか。

@借り物でない言葉だった
 多くのその当時の宗教家たちは昔の学者たちの言葉を引用して自分たちの意見を主張していました。 けれどもイエスは違いました。 イエスは自分の言葉で語られました。 易しいけれどもイエスは自分の言葉で確信をもって語られたのです。 イエスは神から聞いたことをストレートに語られたのです。

Aイエスの言葉と生き方が一つだった
 多くの宗教家達が言うことは立派でも、生き方がついていかない中で、イエスの言葉はその生き方によって裏打ちされていました。

B言葉が事柄になっていく言葉
 イエスが語られるとその通りのことが起こっていきました。 単に事実を描写する言葉ではありません。 何もないところにイエスが言葉を語られるとその通りのことが起こってしまう。
私たちの信仰もそうです。 私たちはまだ完全な形で天国・神の国に住んでいるのではありません。 けれどもイエスが語られた、だからその通りになっていくと信じるのです。 イエスの言葉にはまことに力があるからです。

C人を生かし、救う言葉
 イエスが語られる時、その言葉は人を生かし、救っていきました。 イエスがキリストであると知るだけでは不十分です。 けれどもイエスを信じる時にそのイエスの言葉は人を生かし、救っていきます。

イエスは今も聖書を通して語られます。 語られる御言葉を信仰をもって受け取っていきたいと思います。

 

(10/28礼拝説教より)