それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、私にください。 (12節)
神に従い、信仰をもって答えたヨシュアとカレブが共に老境に達して向かいあっていました。
私たちが共に祈り、共に信じ、共に励まし合う友を与えられているのは何と感謝でしょうか。
そしてヨシュアの前でカレブはこう言います。
「主があの日語られたこの山地を、どうか今、私に下さい」そこには50年近くたっても変わることのないカレブの信仰がありました。
1.主のお言葉への信仰
カレブがここで想起しているのは彼が若い日に語られた主の言葉です。
神様は私たちの成長に応じて語り続けられます。
けれども、ある時神が語られた御言葉を信じ続けると言うこともまたとても大切なことです。
その御言葉が私たちの歩みの原点になっていくからです。
その意味でも私たちが聞くべき時にしっかり御言葉を聴くと言うことはとても大切なことです。
若い日に聞いたその御言葉が彼の生涯を決めていったのです。
2.不可能に見える現実を越える信仰
カレブはすでに85歳。
年齢だけ見ると戦いは困難に思えてきます。
しかもそこは山地です。
町々は大きく堅固です。
そこに住むのは背の高い民です。
一番その困難なことを知っていたのはカレブ自身だったはずです。
信仰とは現実をしっかり見据えながら同時にもう一つの現実を見ていく。
それは「主があの日に語られた」という御言葉の現実です。
すでに主が語られた以上、必ずその通りになっていくという主に対する信頼を彼は持っていたのです。
3.臨在信仰
カレブのそのような信仰は同時に主が共に行ってくださるという臨在信仰でした。
臨在信仰とは単に主が共に行ってくださる気がするとかしないとかいうことではありません。
共にいるとおっしゃるお言葉に信頼して、御言葉と共に歩んでいくことなのです。
4.戦いに進みゆく信仰
カレブは大胆に「下さい」と言いました。
実際には彼は戦わなければなりませんでした。
しかし、それは勝ち負けの分からない戦いではない。
カレブは御言葉に信頼し、幻を見続けて自分のものとしていきました。 御言葉のお約束を求めようではありませんか。 御言葉に信頼して神様の恵みをいただく者でありたいと思います。