2001年7月22日


勝利と敗北を決めるもの
          ヨシュア7章

私の不義をことごとく洗い去り、私の罪から私を清めてください。   (詩篇51章2節)

神様は私たちに勝利ある生涯を送らせようとしておられます。 ただ勝利という言葉は戦いを前提としています。 そこには戦う相手がいます。 敵は人間ではありません。 人の内に働きかける悪魔です。
私たちはみんな勝利を望んでいる。 それでも時に私たちが敗北感を味わうのはなぜなのでしょうか。

1.油断
 イスラエルの人々はアイの時には、やあ大丈夫小さい町だから、2−3千人もいれば十分でしょうということになった。 私たちは勝利の後ほど、謙虚にならなければならなりません。 小さなことをするときほど注意深く、祈りを持ってしなければならないのです。

2.むさぼり
 神様はエリコの戦いの時に、その町の宝に手をつけてはいけないとおっしゃっていました。 ところがアカンが、美しい外套、銀貨、金の延べ棒を見た時に欲しくなった。 聖書はこのような罪を「むさぼり」と言います。 自分のものではないもの、他の人のものをほしがることです。

3.神への不従順
 それは神が望んでおられることを知りながら違う生き方をすることです。 アカンは手をつけてはいけないと言うことをしってながらその分捕り物に手をつけて、自分の家に持っていったのでした。 神に従って下さい。

4.罪を隠す
 神は人が罪を犯す時に、隠れることなく、隠すことなく、神の前に悔いあらためて出ることを願っておられます。 けれどもアカンは最後の最後、問いつめられるまで自分の罪を隠そうとしたのでした。

私たちは罪のもたらす結果の重さを知らなければなりません。 罪は私たちに死をもたらすのです。 けれども、死ぬべき私たちの身代わりとなって死んで下さった方がいます。 それがイエス・キリストです。
私たちが罪を抱えたままだと勝利はありません。 けれども私たちに勝利を与えて下さる方がいる。 このお方に頼って罪赦されたものは勝利の中を歩んでいくことができるのです。

 

(7/22礼拝説教より)