2001年5月20日


一歩を踏み出す勇気

今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、 わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。  (ヨシュア1章2節)

神様はヨシュアを立て、彼を奮い立たせて、約束された乳と蜜の流れる地に出発させなさいました。 ヨシュアが立ち上がったのはどのような時だったのでしょうか。

1、主の僕モーセが死んだ後、
@モーセは偉大な主のしもべであり(申命記34:10-12)、リーダーとしても人格的にも優れた人物でした。 けれども、それほど偉大なモーセも死ななければならなりませんでした。
約束の地はどんな優れた人物の徳行によても入ることはできない、主の恵みとあわれみによって入れていただけることを示すためでもありました。
A人間的にはとてもベストタイミングとは思えません。 モーセが元気なときに進んでいた方がずっといいように思います。 けれども何をするにも、私達の思いを超えた神の備えられたタイミングというのがあるのです。

2、御言葉を聞いたとき
御言葉を聞いていないときには進んではなりません。 けれどもこの時には彼らは神の言葉をはっきり聞きました。
「あなたとこのすべての民とは共に」
ヨシュアはどれだけ自信があったでしょうか。 そこにいるものの少なくとも三分の二は荒野生まれ。 紅海徒渉もシナイ山も知らない世代です。 しかも文句をいうことにかけては一流と言う人々です。 けれども神は彼らが「共に」進むことを願っておられました。
「立って」・・・根が生えるというが、根を切って立ち上がらなければならない。 どんなに居心地が良くても座っていてはいけなかったのです。
「渡り」・・・わざわざ神はヨルダン川を渡るルートに彼らを導かれました。 渡ってしまったら戻れない。けれども彼らにはそこを渡り、長く過ごした古い立場と決別して前進する覚悟も必要だったのです。
「私が与える地に行け」・・・「与えている」と神は完了形で語られます。 ただ具体的には足で踏んでいくことになります。 信仰とは抽象論ではないのです。

3、今・・・「すぐ」に従え
今まで馴染んだやり方、生き方、
そこから今、立って新しい主の恵みを求めて前進しましょう!

 

(5/20礼拝説教より)