2001年4月15日


自分を救わない救い主
       マタイ27:32-39

人々は十字架の上のイエスをあざけって言いました。 「あのざまで救い主だって? 自分のことさえ救えないのに何をいうのだ」

1、イエスは本当に自分を救えなかったのか。
@イエスは降りることができた・・・イエスは神の子ですから当然降りることができたはずです。 また、逃げようと思えばいくらでもその機会はありました。 実は、イエスを十字架から引き離そうとさせるために必死だったのは悪魔の方だったのです。
A動かなかった12軍団・・・イエスにとっては御使いの援軍を呼ぶことなどわけないことでした。 けれどもイエスはこの危急の状況の時に御使いの軍隊を呼ぶことをなさいませんでした。
イエスは自分を救えなかったのではありませんでした。 あえて自分を救おうとなさらなかったのです。

2、なぜイエスは自分を救わなかったのか
@御言葉の成就のため
 もしイエスが自分を救ってしまったら旧約聖書にこうなると書かれている神の救い約束の御言葉が嘘になってしまう。 イエスはまさしく御言葉の成就に命をかけられたのです。
A私たちの救いのため
 イエスは罪を犯していないのだから、本当は十字架にかかる必要はない。 イエスの十字架は自分のためではありませんでした。 わたしが罪赦されて救われるために十字架について死んでくださったのです。

3、自分を救わない生き方へ
 私たちはこのイエスを信じるときに、そのあがないのゆえに罪赦されて救われます。 そして今度は、イエスと同じように自分を救わない生き方へと招かれています。
この世は「自分を救え!」と叫びます。 けれども聖書は「自分を捨てよ!」と呼びかけるのです。 それは自分を粗末にしろとか、自分をいじめろとか、そういうことを勧めているのではありません。 それは、神をあがめ、他者を生かし、永遠を思う生き方なのです。 「自分を救おうとするときに結局はそれを失うが、自分を捨てる者はそれを得る」と聖書は言います。 イエスは自らそのような生涯を送り、十字架の死によって私たちに救いの道を開いてくださっただけでなく、この人間の計算を越えた生き方の中に私たちを招いていてくださるのです。

 

(4/15礼拝説教より)